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2015年10月 1日 (木)

土田喜代一さん

土田喜代一

 
私の友人でペリリュー戦研究者のS氏が

福岡県にお住まいでペリリュー島玉砕戦生還者の
土田喜代一さんを訪ね、拙著『パラオ戦跡を巡る』をお渡し頂きました。
   
土田さんは昭和19年当時、海軍の第761海軍航空隊(龍)所属で
ペリリュー航空基地で地上
見張り員をしていましたがペリリュー島へ
取り残され、急遽、応急陸戦隊(大谷部隊)を編成。
陸軍とともに戦いました。
 
特筆すべき点は土田さんは終戦を信じず
昭和22年4月まで、およそ1年半も戦い続けたことです。
その詳細は様々な本が出ています。
 
土田さんからは多くの資料をお借りし、拙著の編纂に
多大なる協力を頂きました。土田さんが経験した
戦闘の詳細や終戦後の抗戦など、手記もお預かり
していましたので、それも拙著に盛り込もうと考えていたのですが
すっかりテレビやプロの作家さんに先を越されてしまいました。
 
土田喜代一氏
昭和18年1月10日佐世保海兵団志願入隊
同年4月、博多海軍航空隊へ入隊。 同年10月
横須賀見張り学校へ入校。同年11月、鹿屋海軍航空隊に転属。
第一航空艦隊・第761海軍航空隊(龍)へ転属。
一式陸攻二四型72機(ほか彗星・銀河など)を有する最新鋭部隊。
第一航空艦隊司令長官角田中将テニアン(天寧)玉砕
ペリリューで大谷龍蔵大佐指揮のもと海軍応急陸戦隊を編成。
玉砕戦を生還、なおも終戦を信じず昭和22年4月、澄川少将の
命令で武装解除に応じる。写真は新兵時に撮影したもの。
 

土田喜代一

 
土田さん、お世話になりました。ありがとうございます。
これからもお元気で。
 

澄川道男海軍少将

▲ペリリュー島に於いて終戦後もそれを信じず抵抗を続ける日本兵
(土田さん含む)に対し、説得、停戦命令を伝達すべく、作戦を練る澄川道男海軍少将。
左から二番目。
 

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