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2015年3月15日 (日)

戦艦武蔵のパラオ離脱

戦艦武蔵が話題になっているので、私はパラオで武蔵を目撃した
という人物にインタビューしたことがあるので資料と照らし
合わせながら少し書く。(ぜんぶは書ききれない)
 
「武蔵が西水道を抜けるとき、遠くから見ていた。かき分けた

海水がサンゴ礁に乗り上げ、津波のように押し寄せた」
 
「でかくてたまげたね。アラカベサンの山よりでかかった」

 
コロールに姿を現した武蔵があまりに巨大だったため
パラオは騒然とした。
昭和19年2月29日 連合艦隊旗艦、戦艦武蔵(大和と同型の二番艦)が
コロール泊地に投錨。空襲で無力化されたトラックに代わって
パラオを連合艦隊司令部とした。連合艦隊司令部はコロールの
陸上、南洋庁長官邸のすぐ裏の海軍司令部に置かれた。
武蔵はコロールの環礁内に約一ヶ月停泊し、この間、
武蔵に乗船していた陸軍一個大隊と海軍陸戦隊一個大隊が下船。
民間の勤労奉仕隊と共にアイライ飛行場建設に尽力した。
 
「我々勤労奉仕団に混じって、飛行場作るのを手伝ってくれた」
 
建設は全てスコップやモッコを用いた手作業であったが、
苦労の末、全長1400メートルに及ぶ滑走路を完成させるに至った。
これが現在のパラオ国際空港である。
 
3月27日 「敵大機動部隊ニューギニヤ北方を西進中」との報せを
受けた連合艦隊福留繁参謀長はこの報せを艦長に伝えると
大慌てで武蔵以下艦隊を直ちにパラオ港外へ待避させることを下令。
 
武蔵はその巨大な艦体故、舵を 切ってから曲がり始めるまで
1分40秒かかる。これが全速航行時ならば 1.4キロも走って
しまう計算になる。
 
パラオ・コロール泊地から外洋に出るには唯一「西水道」
を経由せねばならない。最少幅110メートル、8.5キロに
及ぶ西水道は出口付近で直角に折れ、複雑かつ急速な潮流に
より通行を困難なものにした。満潮時の他は絶対に離脱不可能である。
 
「武蔵が西水道を抜けるとき、かき分けた海水がサンゴ礁に
乗り上げ、津波のように押し寄せた」
 
「武蔵が転進した後、コロールでは31日の夜、大型の飛行機の音が聞こえた。
確か2機だったと思う。(※記録では3機目が着水しているが)低いうなるような
音だった。

一旦、静まり返った後、夜明け前に離陸していった」
 
これは二式大艇のエンジン音だったと推定される。
のちの海軍乙事件(古賀峯一大将殉職)である。

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