ある飛行兵の話(パラオ人の証言)
戦争中はいつもひもじい思いをしていました。
そんなある日、私たちはガラルドの畑へ行きました。
すると、私たちの畑小屋に人の気配を感じました。
近付くと、そこに居たのは日本の飛行兵でした。
飛行兵は小屋の下で柱に家族の写真を立てかけて
それを眺めながら座り込んでいました。
私はバナナを持ってきて
「兵隊さん、バナナをどうぞ」と言いました。 すると兵隊さんは
「いや、いいですよ。私はもうだめだ。 私が食べればあなたたちの分がなくなる」
そう言って断りました。
私は家に帰ってそのことを家族に話しました。
すると、今度は兄が小屋へ行ってもう一度 食べるよう言いました。
それでも兵隊さんは食べなかった。
次の日、小屋へ行ったらもうその兵隊さんの姿は ありませんでした。
傷ついた体で長い道を歩いていったのでしょうか。
その後はどうなったかわかりません。
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これはマルキョク出身で当時ガラルドにいたパラオ人
ニーナさんの話です。ニーナさんは日本統治時代を知る女性です。
もちろん日本語ベラベラなので、私は日本語でたくさんお話しをしました。
日本時代のことを良いこと悪いこと、たくさんお話ししてくれました。
今回はその中からひとつ紹介しました。
画像はインタビュー動画から切り取ったものなので
少し暗いです。すみません。私はこうして日本統治時代を知る
多くの年配パラオ人にインタビューして公開していないものが
たくさんあります。
一般的に、旧日本軍の兵士は横暴で残忍、米軍の兵士は規律正しく温和みたいに思われていますが、戦争という極限状態において、どちらも軍にもいろんな事があったはず。
その中で「全体として」旧日本軍は規律正しかったと言われています。
今の日本人にも、あまり卑屈にならず物事を多角的に見てほしいものです。
投稿: フランカー | 2015年3月18日 (水) 08:24
フランカー様
テレビでは日本兵イコール蛮行といったイメージが多いと思います。
もちろん戦争の混沌の中でそういったこともあったことでしょうが
良いことも同時に報じてくれないとフェアではありませんよね。
そして、日本軍は占領地域(パラオは違いますが)において
現地住民との調和がもっとも重要な戦略であることを一番よく知っています。
これは和を重んじた日本人の大きな特徴にもかかわらず、全く逆の報道が
なされています。
投稿: 篠原 | 2015年3月25日 (水) 11:24