3.11 そのときパラオでは
私は日本人としてパラオの方々に心からお礼を申し上げたいです。
2011年3月11日、東日本大震災当時、パラオに居りました。
コロールの街頭では子供たちが募金を呼び掛けてくれていました。
そして行きあうパラオ人の誰もが、私を日本人と知るなり
「あなたの家族は大丈夫か?」と尋ねてくれました。
官庁はもちろん、民間施設もほとんど全てがしばらくの間、
街中が半旗でした。
私は計画停電が終了したころ、日本に帰ってきたので
その頃の苦労を知らず、地震の恐怖も体験していませんでした。
私の出来ることといえば、なんだろうと考えました。
そうだ、このブログを通じて伝えることだ。
残念なことに、これらの善意はほとんど日本では報道されることは
ありませんでした。だからここで一人でも多くの日本人に
パラオ人の善意を伝えたいのです。
日本人の多くはパラオという国がどこにあるか知らない。
でもパラオ人は全員日本を知っている。パラオと日本は
最も大切な友人であり歴史上の盟友でもあるから。
パラオの人口は一万人強ですが、国民一人当たりに占める寄付金の金額は
世界屈指でした。100ドル札を躊躇なく募金箱に入れてくれるのです。
だから、日本政府は貴重なお金を無駄にしてはいけないと感じました。
私の故郷は福島の隣、栃木です。
内陸故に津波被害はありませんでしたが、地震で死者が出ましたし
私の実家も一部が崩れました。
ですが、多くのパラオ人が声をかけてくださって
「家族は大丈夫か?」との言ってくださった。その心遣いに
本当に涙が出ました。改めて感謝申し上げます。
※この写真を撮ったのは3月25日です。
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