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2014年11月 5日 (水)

BC級戦犯の処刑を見た

この内容は、昭和21年7月15日
元憲兵曹長の磯部氏がラングーン中央刑務所抑留中に目撃した法務死
(いわゆるBC級戦犯の処刑)についての証言です。2014年夏に
私を含む有志四名で、磯部氏に独自取材を行ったもので
やや刺激の強い表現が含まれますことをあらかじめお断り申し上げます。
 
95歳になる磯部さんは、こうした戦争のお話をされる際に、
「私は亡き戦友の代弁者として」と、必ず仰ってから
語り始めるのがのが常となっています。
 

BC級戦犯の処刑
YouTube: BC級戦犯の処刑

 
ラングーン刑務所におけるBC級戦犯の処刑と裁判の概要
昭和21年4月
ラングーン軍事法廷においてカラゴン村事件の裁判が開かれた。
17日間にわたる裁判の結果、日本軍将校四名が事件に深く関与したとされ
有罪、死刑が言い渡された。同年7月15日午前 少佐一名が絞首刑。
大尉一名と中尉二名が銃殺刑となった。
 
ただし戦勝国による裁判は必ずしも公正無私なものとは限らず、
その真偽は当然ながら、判決自体も開廷から結審まで合わせて
17日間という短期間に争われた結果であった。
 
日本軍側の主張でもあり矛盾点として付け加えるべきは
村の襲撃を命じたとされる師団長、連隊長は無罪であったうえ 法廷では
連合軍による日本本土無差別爆撃等による日本の民間人死傷も
同様の戦争犯罪にあたるとの言及がなされたが、以後一切、連合国の罪は
引き合いに出されることなく結審していることであろう。
 
 
カラゴン村事件とは
第三十三師団(弓)第215連隊第三大隊が ビルマ東南部の
モールメンにおいて女性子供含む現地住民600名を虐殺したとされる
事件である。カラゴン村の住民は英軍をゲリラ活動により支援しており
(これらを敵性部落と呼ぶ)さらに村が師団の 進軍経路上にあったため
師団司令部は 連隊に村の襲撃を下令したとされる。
  

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証言者略歴 
磯部喜一氏
最終階級憲兵曹長。 大正8年3月生まれ、鎌倉市出身。
昭和15年、歩兵49連隊(甲府)へ入隊 同年、憲兵試験を受験後合格。
中野の憲兵学校7期生として入学。 半年間の憲兵教育課程を修了後、
横須賀憲兵分隊で内地勤務。 司法係として、刑法を根拠とした軍人軍属の
犯罪取り締まり、 要人警護(葉山御用邸の警護)徴兵検査立ち会い、
遺骨引き渡しの警備等を行う。
 
昭和19年5月、外地勤務を志願しビルマ派遣。
現地人に変装し、諜報活動に尽力。インパール作戦中止に伴う
ラングーン放棄・シッタン平地作戦では(事実上の撤退作戦)
陸軍第一〇五旅団・敢威兵団の将兵3400名を導きモールメンへの
撤退路を確保した。
 
サトンにて終戦を迎える。バンワン、ラングーン刑務所へ抑留。
アーロン収容所を経て、昭和22年3月釈放。同年、8月復員。
 
97歳となった現在も
「亡き戦友の代弁者として」
講演、語り手を続ける。

 

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