航空機に見る日本陸海軍の確執
先の大戦において、一番の敗因は圧倒的物量の差といえるが
それ以外をあげるとするなら、特に多方面で論じられているのが
陸海軍の確執が足かせになったことだ。
これは我が国の失敗の本質であり、当時から現在に至るまで
まったく改善されていない。
そこで今回は常にニュートラルな存在である機械という側面から
陸海軍の確執を、それらが招いた不効率、強いて言えば敗因を
見ていこう。
この飛行機は陸軍が開発した三式戦闘機「飛燕」と
海軍開発の艦上爆撃機(夜間戦闘機)「彗星」である。
似たような形をしているのは同じエンジンを搭載しているため。
エンジンはメッサーシュミットBf109にも搭載された名機「DB601」で
ドイツのダイムラーベンツ社からそっくり技術のみを購入し、
図面をもとに国内で生産したものだ。これをライセンス生産と呼ぶ。
日本機では珍しい液冷エンジンを採用したこの二機は、いずれも
陸海軍の主力となり活躍したが、その開発経緯が実に不効率なものだった。
購入経緯は下記の図の通りである。
ダイムラー・ベンツ製DB-601エンジンは、当初日本海軍が
購入・採用した。これにならい、陸軍でも液冷エンジンの戦闘機を製造すべく
導入を決定した。当然、先に海軍が購入済みであるので
通常であれば海軍から技術供与を受けるのが最も効率よく
コストもかからないし、開発期間を短縮できるなど、技術面でのメリットも大きい。
しかし、日本陸海軍は仲が悪かった。
一応、海軍との間でエンジン供給に関して会合の機会をもうけたが、
うやむやとなってしまった。事実上の破談である。
そこで陸軍は、元祖であるダイムラー・ベンツ社にエンジン技術の購入を
求めた。これに対し、ダイムラー社は
「すでに日本海軍に売り渡してある。重複して売ることは
商業道徳に反するから、海軍に供与を受けてはどうか」
と、丁寧にもアドバイスしてくれたのだが、陸軍はプライドが邪魔し
独自購入を進めた。
この失態はヒトラーの耳にも入り
「日本の陸海軍は仇同士か」と述べたという。
以上の経緯によって、同じエンジンであるにも関わらず、一から
陸軍、海軍で別々の開発、生産が行われた。
名称も陸軍では「ハ40エンジン」海軍では「アツタ(熱田)エンジン」と
異なったものになった。
陸軍の「飛燕」、海軍の「彗星」はそれぞれ別の道を歩み
戦争中盤~終盤にかけて、活躍したが、もし
陸海軍で技術交換し共同開発・製造を行っていれば
もっと効率よく完成度の高い飛行機が出来たのではなかろうか。
さらに、戦局が悪化し、エンジンが足りなくなったとき、
相互性がなかったため。同じエンジンであるが
互いに融通しあうことができなかった。
手痛いツケがまわってきたのである。
いずれにしても前線の兵には関係ないことである。
陸海軍上層部のちょっとしたプライドが大きな大きな足かせとなった。
陸海軍が仲良くやれば、もう少しマシに戦えたかもしれない。
現代における省庁間の縦割り行政と同じく
この国の失敗の本質は昔から変わらぬままだ。
そしていつも苦労するのは末端の人間である。
窮地に追い込まれた日本陸海軍は
ジェット戦闘機「橘花(海軍)」「火龍(陸軍)」で共同開発に踏み切るが
ときすでに遅し1945年8月のことであった。
▼ペリリュー島に残る「彗星」DB-601エンジン。
排気管(マフラー)だけが錆びることなく鈍く光る。
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