« 「震電」のプロペラ | メイン | 紫電改と信濃 »

2013年7月28日 (日)

三島由紀夫と船坂弘の関孫六三本杉

◆昭和45年11月25日
三島 由紀夫は森田必勝ら楯の会メンバー4名とともに
陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地内東部方面総監部の総監室を訪れ、
面談中に突如益田兼利総監を、人質にして籠城。
バルコニーから檄文を撒き、自衛隊の決起・クーデターを促す
演説をした直後に割腹自決した。
楯の会事件とか三島事件などといわれる事件であるが
 
このとき、三島、森田の切腹、介錯に用いられたのが 
名刀「関孫六三本杉」である。
この関孫六三本杉は船坂弘からの贈り物で 次のような経緯がある。

◆昭和41年12月
アンガウル玉砕戦の生還者である船坂弘が、英霊の代弁者として
心血を注いだ『英霊の絶叫・玉砕島アンガウル』が書きあがり
出版する際、共に剣道の有段者であり、以前より親交があった
三島由紀夫より、同書に序文が寄稿された。
 
「何かお礼に差し上げたい」と申し出た船坂に対し
三島は「関孫六三本杉」を強く所望したという。
 
事件後、舩坂が警察署へ赴き 二人を介錯した関孫六を確認している。
 
◆昭和45年12月20日発売の 『朝日ソノラマ』
この中に事件現場を撮影した写真が掲載されている。
三島と森田の頭部が並べて置かれている衝撃的な写真だった。

Fr

Imgp5079

 
また、演説内容をすべて収録したソノシートも附属している。

コメント

コメントを投稿