先日の硫黄島派遣で19歳の大学生と一緒になりました。
彼が記した硫黄島訪問の回想記に心打たれたので、本人の許可をもらい
ここに掲載させてもらいました。
純粋の一言に尽きます。硫黄島から戻り、すぐに記したこともあり
一切の飾り気を排して、素直な気持ちが表れており
さらに付け加えるならば、彼ら戦争を知らない世代はもちろんのこと
各々世代に対し、反戦の大切さ、それは単純なものでない故、
議論の余地を与えてくれている、素晴らしいメッセージだと感じました。
紹介します。次の通りです。
『 硫黄島遺骨収集記 19歳大学生の回想 』
昨日、正確にいえば一昨日は硫黄島で日米合同の追悼式がありましたね。
丁度一ヶ月程前。 2月5〜14日に硫黄島遺骨帰還事業に参加させていただきました。
そんな折、遺族の方々が合同追悼式について、なんで親を殺した奴らと笑って
追悼式しなきゃいけないんだって言っていたことを思い出しました。
何年たっても人の気持ちは難しいですよね。 向こうも必死でこっちも必死で生きるために
はたまた愛する家族を守るために殺し合ってたんですよね... 俺には難しいです。
今の平和ボケでは考えられない。
硫黄島には戦争で亡くなられた英霊たちがまだまだたくさんのいらっしゃいます。
彼らは望まずしてこの地に連れてこられ、辛いおもいをし、家族や愛する人に
会いたいという気持ちを胸に亡くなられた。 硫黄島では、今回の隊では壕の中を堀り
そんな英霊たちのご遺骨を探しだして、本土に帰還させるという作業をしました。
壕の中は風の通らないような場所では灼熱で60度以上にもなるところがあったり、
縄梯子で降りないといけない場所があったり、すごい劣悪な環境。こんな中で
少ない水で硬い地盤を堀り壕を作っていたのかと想像すると、考えられないほど
辛かったんだろうと、硫黄島では戦の前に亡くなられた方々が多かったといいますからね。
硫黄島には限られないのですが。
そんな中で作業して、何柱かご遺骨を見つけて持ち帰ることができて、本当によかったです。
今回の隊は特別な隊で、この一年で探し出したご遺骨を本土に持ち帰り、千鳥ヶ淵にて
引き渡し式を行うという役割も含まれていました。 ご遺骨を抱えて輸送機に乗り
入間基地に戻り、そこからバスで移動。 基地の中ではバスの通り道にご遺骨に向けて敬礼する
列ができていました。それを見た時のえもいわれぬ身体のかっーと熱くなる感覚、涙も溢れだして。
その時、彼らの死は無駄ではなかったんだと、意味があったのだと、確信しました。
彼らが死を望んだわけでもありませんが 、いま私たちが平和に暮らしているのは
直接的ではないかもしれないけど彼らのおかげなんだと、自分のたちは彼らの屍の上を
歩いているのだと。 しっかり一歩一歩踏みしめて歩かなければいけないなと。感じました。
遺骨の引き渡し式では、自分も殆どの学生は号泣。
現地の追悼式でははずかしながらないていたのは私くらいでしたが。
この時に、戦争を知らない自分達の世代でもこんな気持ちになるんだなって、
戦争は絶対してはならないと言うことを受け継いでいかねばとつよく、つよく感じました。
戦時中硫黄島は米国にとって国民を戦争に向かわせるためのプロパガンダとして利用されました。
これからは硫黄島は反戦へのプロパガンダになって欲しい。して行きたい。
遺族の方々には自分達みたいな学生がきて俺は頑張ったつもりだけれど、煙たがれたかもしれません。
戦争で親族をなくしたわけではない自分達ですからね。
でも英霊のために働けて本当によかった。 考え方がまたかわる10日間でした。
硫黄島に行かせてくださってありがとうございました!
いまでも各地でご遺骨の帰還事業が行われていることを
みなさんにも周知しておいていただきたいです。
最後に、自分は相変わらずダメダメでした。 そんな自分にもよくしてくださって、
硫黄島では楽しくもすごさせていただきました。 いい人ばかりで、、、
硫黄島で出会えたみなさんに本当に感謝してます。
またどこかでお会いしたいです!
本当にありがとうございました! あ、つたない文書ですみませんでした!
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