私たちはヨーロッパ人とバラを愛でる心情をわかち合うことはできない。
バラには桜花のもつ純真さが欠けている。それのみならず、バラはその
甘美さの陰にとげを隠している。バラの花はいつとはなく散り果てるよりも
枝についたまま朽ち果てることを好むかのようである。しかもこの花には
あでやかな色合いや濃厚な香りがある。これらは全て日本の桜にはない特徴である。
私たち日本の花、すなわちサクラは、その美しい粧いの下に毒やとげを
隠し持ってはいない。自然のおもむくままにいつでもその生命を棄てる
用意がある。その色合いは決して華美とはいいがたく、その淡い香りには
飽きることがない。
中略
草花の色彩や形状は外からしか見ることができない。それらはその種類の固有した性質
である。しかし草花の芳香には揮発性があり、あたかも生命の呼吸に似てかぐわしい。
そのためあらゆる宗教的な儀式においては乳香や没薬が重要な役割を演ずる。香りには
精神に働きかける何かがあるのだ。
太陽は東方から昇り、まず極東のこの列島に光を注ぐ。そしてサクラの芳香が朝の空気を
いきいきとさせる。このとき、このうるわしい息吹を胸一杯吸うことほど気分を清澄、爽快
にするものはないであろう。「旧約聖書」には創造主みずからが、燔祭の芳香を嗅いで
その心に新たな決意をかためられた「創世記(八-二二)」と記されている。
人々が小さな家々から外へ出て、その空気に触れるいざないにこたえたとしても何の不思議も
ないではないか。たとえ人々がしばらくの間、手足を休めて働くことを忘れたり、心の中の
苦しみや悲哀を忘れようとしたとて、それはとがめるに値しないであろう。
短い快楽のひとときが終れば、人々はあらたな力と満たされた思いをもって
日常の仕事に戻っていく。このようにサクラはひとつではなく、さまざまな理由から
わが日本国民の花となっているのである。
ではこのように美しく、かつはかなく風のままに散ってしまうこの花、ほんのひとときの香りを
放ちつつ、永遠に消え去ってしまうこの花が「大和魂」の典型なのだろうか。
日本の魂とはこのようにもろく滅び去ってしまう運命にあるのだろうか。
『武士道』(新渡戸稲造)より抜粋
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