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2011年11月25日 (金)

対戦車決死隊 M4シャーマン戦車

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この戦車は アメリカ陸軍81師団第710戦車大隊A中隊第一小隊所属で
昭和19年10月18日、航空隊員救出の任務を遂行中に日本工兵隊が
埋設した改造地雷(元は航空爆弾)に触れ 爆発横転した。
 
戦車には通常の乗員5名に加え、案内役の大尉一名の 計6名が搭乗中で
この地雷攻撃により大尉を含む5名が戦死。 戦車長が唯一生還した。
キャタピラーは横転したさいの衝撃で 外れ、数十メートル先に転がっている。
コルセア機の翼は、要救助者の機体か。翼のシンボルは戦後長らく
地面に接しており、日焼けを避けられたことから現在でもうっすらと
確認できる。

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この画像と直接の関係はないが、ペリリュー戦では以下のような
戦法も用いられていた。 米軍はこの戦いに戦車を次々と投入した。
海兵隊は機動力に優れる水陸両用戦車。 次いで陸軍の主力は装甲の
分厚いM4シャーマン戦車である。 いずれにしても、上陸間もなくの
飛行場争奪戦で、日本戦車隊は全滅し 生身の兵隊で太刀打ちすることは
不可能であったが戦車にも弱点はあった。
 
守備隊が敢行した戦法は自爆だった。 数名で構成された決死隊の先鋒が
戦車に飛び込みキャタピラーに爆弾を貼り付け、爆破切断し、各坐させる。
どんな強力な戦車でもキャタピラーを切断されると身動きが取れなくなった。
次に地雷を抱えた工兵が戦車の腹底に潜り込み、地雷諸共に自爆する。
腹底の装甲の薄さに目を付けたのだ。 この戦法を敢行すれば必ず死ぬが、
敵も死ぬ。 捨て身の攻撃であった。
 
ペリリュー飛行場を横断するM4戦車(従軍カメラマンによる撮影)
その下のカラーは写真は戦後に撮影されたもの。
 

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コメント

たしか改造地雷って通常の対戦車地雷の下に250㎏爆弾をうめたやつだったと思います
上手くいくと戦車は空中高く吹き飛ばされるらしかったです
ちなみにペリリウ島にアメリカ軍が上陸する際艦砲射撃をしたのですが
その時に空いた砲弾のクレーターにアメリカ軍戦車が落っこちた事があったそうです

中川様
そうです。250kgの航空爆弾です。

日本兵が戦車を待ち構えて起爆スイッチを押して
爆破させました。通常の対戦車地雷では擱座させるのが精一杯なので
横転した状態にはなりません。

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