« クリエイターの合言葉 | メイン | 空母いずも »

2019年1月28日 (月)

木更津の夏

Photo

流星(改)が描き上がりました。
昭和20年、木更津の夏です。

コメント

篠原様、初めまして、
私は南瞑の桜の頃から拝見させていただいているいる、紫電改展示館から30分位の街に住む者です。私の父のことですが農家の次男坊で同級生はほとんど陸軍にいったらしいのですが私の住んでるところは連合艦隊の寄港地であったため海軍さんをよく見かけ、算盤等に自信のあった父は軍服の左腕のペン先マークの主計兵に憧れ昭和17年に海軍を志願し佐世保海兵団を経て重巡「足柄」に乗り組みになった ものの新兵はペンとは無縁で飯炊き兵だったようで見かけた主計兵が左腕にしゃもじのマークをつけていたら志願しなかったといっておりました。その後「足柄」の艦内で経理学校の試験を受験し卒業後、内地勤務と なり千歳航空隊を経て木更津航空隊で終戦をむかえていますが昭和20年には飛行機、物資共乏しく戦争映画で搭乗員がつけている真っ白なマフラーは無かったようですがその中でも比較的きれいなものを選び搭乗員に着けさせ、糧食の兵におはぎを作らせて持たせ、艦爆「九九」を見送ったと言ってました。
また、出撃の際の「帽振れー」の号令が耳から離れないといっておりました。
木更津の夏ということで父のことをなつかしみ書かせていただきました。
父は主計兵あがりですので料理をよく作っていましたが海軍式すき焼きとか戦闘食用の炊込みごはんのおむすび、味噌汁などは絶品でしたし艦に乗り組んでいた軍属の方にならったステーキソース、デミグラスソースねどはよく作っていましたがカレーと肉じゃがを作ってもらった記憶はありません。 昨今、海上自衛隊では海軍からの伝統で曜日を忘れないために金曜日はカレーを食べているようですが週1回に頻度で食べていたのであれば父も「足柄」で相当回数作っていたと思うのですが、当時金曜日にカレーを食べていたのは一般の兵隊ではなく士官だけで軍属のコックさんが作っていたのでしょうか?                                     ちなみに父はカレー、肉じゃがは嫌いではなく母が作ったものは好んでたべておりました。

ちえこ様

コメントありがとうございます。
南溟の桜はだいぶ昔ですね。
本当にありがとうございます。
興味深いお話しでした。
海自イベントや旧軍港の街では
カレーと肉じゃがでの町おこしが盛んですね。
それが一度もないというのは、どうしてでしょうね。
ご存命なら色々お伺いしたいところです。

「帽振れ」は階級や所属、関係なく、全ての将兵の気持ちが
ひとつになるときだと、多く語られておりますね。

コメントを投稿