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2016年2月26日 (金)

英軍からの出前寿司

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このエピソードは昭和19年後半、ビルマの
イラワジ会戦における前哨戦で、イギリス軍(以下英軍)
が苦肉の末遂行した「お寿司の出前作戦」について記す。
 
この頃、第二師団工兵中隊の水野大尉は川岸の陣地で
英軍と睨みあっていた。英軍も、この時期になると日本軍の強さを
周知しており、いかに損害を軽微に抑えるか頭を悩ませていた。
 
最もよく用いたのが飛行機を飛ばして日本軍陣地の頭上へ
ビラを撒く作戦である。水野大尉は回想する。
 
「その頃の日本は紙は貴重品でザラザラの茶色いものが一般的でした。
ところが英軍は真っ白で表面ツルツル、しかも手書きでなく活字ですよ。
それを大量に撒くんです。圧倒的物量だと感じました。拾ったビラには
しっかりとした日本語で『日本軍はガダルカナルで大敗北を喫し大本営は
降伏の準備を始めています。皆さんも戦争をやめて家族のもとへ帰りましょう』と
そんなようなことが書いてありました。戦意喪失を狙ったものでしょう」
 
英軍が最も恐れたのが日本軍による夜襲であった。戦争を原則パート
タイムで行う英軍・連合軍に対し日本軍は作戦とあらば時間や場所を
構わず行動する。英軍は寝込みを奇襲されるので、気持ちの休まる時を
与えなかった。兵士の損害は無論の事、英軍は恐怖に震えあがり
精神的に疲弊を重ねていた。
 
「私も一度先頭に立って夜襲をかけました」
水野大尉は夜襲の様子を回想する。
 
英軍とて無駄に兵隊を死なせたくはない。
しかし日本軍将兵はドイツ兵と異なり、降伏という概念を持たない。
英軍はさらに知恵を絞った。寿司作戦の実行である。
ある日、英軍は日本軍陣地に対し拡声器でけたたましく放送を始めた。
ややたどたどしさが目立つ日本語放送だった。
 
「勇敢なる日本軍将兵の皆さん、我々はあなた方の為にお寿司を作りました。
〇日の〇時〇〇分に、××の地点に置いておきますから、取りに来てください。
その間、我々は紳士協定に基づいて砲爆撃、攻撃は一切しません。これは
我々からの贈り物です。毒も入っていませんから安心してください。
暫く祖国の味を楽しんでください」
 
この放送にはBGMが付いていた。誰もが知る歌謡曲
『誰か故郷を想わざる』だった。遠いビルマの地で日本兵の郷愁を誘う。
放送は水野大尉の耳にも入ったが、水野大尉はいぶかしがるどころか、
気にもとめなかった。部下には無視しろと一言だけ伝えて済ませた。
 
「だけど、どこにもおっちょこちょい(勇敢?)な兵隊がいるものでね
その寿司を取りに行ってしまったんですよ(笑)」
 
見れば確かに寿司だった。本当に置いてある。英軍が現地で在り合せの
食材で作ったのだろう。皿の代わりに大きな葉の上に乗せられていて
うまそうだった。
 
「僕は食べなかったんだけど、おもしろいことをするなと思いましたよ。
部下が行っている間、シーンとしていたし、食った部下も大丈夫で、
本当に毒は入っていなかった」
 
頼んでもいない出前寿司だったが、
有難く頂戴したところで、日本軍は降伏しなかった。
英軍の努力は無駄に終わり、これ以降、昭和20年にかけて
泥沼の戦いに推移してゆくのだった。
 
ここはビルマの最前線。
英軍も日本軍もはるかなる故郷を思い、家族を思い、
誰とて殺し殺されたくはないだろう。互いに、努力を続けていた。
そんなエピソードのひとつを紹介させてもらった。
 
  
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コメント

どちらかといえば、海軍の軍記物を多く読んでいましたので出前寿司作戦は知りませんでした。
日本は正攻法というか、真面目というか、硬いほうですよね。

英軍はふざけてやったとは思いませんが、出前寿司作戦には笑えました。
まあ、欧米らしい作戦と言えば作戦ですね。

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