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2015年6月26日 (金)

ベトナム解放戦線(1)

ビルマ木橋

 

戦友会で元第二師団二十九連隊の中隊長だった
三橋元陸軍大尉のお話です。当時、部下であった
石沢氏の話も合わせています。

 
これも取材中ですが、形になり次第、書くことにします。
話の概要は以下の通りです。
 
以下、光橋元大尉の回想より~ベトナム独立を賭けて
大東亜戦争が8月15日に終わったが
我々の戦争は終わらなかった。私はその頃、
カンボジアに駐留してアンコールワット西側の警備を担当していた。
終戦と同時に、戦前、植民地支配をしていたフランス軍
(以後仏軍)が戻ってきてふたたび、植民地体制を築こうとした。
 
ビルマに建設した木橋も、一度破壊されたものを
我々日本軍の工兵隊がもう一度、終戦後に連合軍が
やってくるというのでかけなおしてやった。
 
フランス軍のために死ぬのは絶対に御免だ
ところがフランス軍は脆弱であったため、一旦武装解除した
日本軍に再度、火器の所持を許可し、ベトナム独立軍と戦え、
というのだ。そうは言われても
我々とベトナム人は友達だったから、今更、彼らに銃口を向けること
などできない。
 
なぜ、我々日本人がフランス軍を守るため、戦わなければならないのだ。
そのとき、私は初めて死ぬのが怖くなった。
それまで、日本のためなら、一度は死ぬつもりだった。
お国を守るためなら死ぬのは何ら躊躇いは無かった。
フランス人のために死ぬのは絶対に嫌だ。 
 
かつての仲間へ銃口を向けるが
それでも仕方ないので、我々は、仏軍の指揮下に入り
ベトナムの仲間に銃口を向けたが、全員照準をはずし
空に向けて発砲した。このお粗末な射撃はベトナム人も
理解していたことだろう。
 
連合国の白人兵士が乗ったトラックはベトナム解放軍の
襲撃を受けていた。9月以降もメコン川上流からは
フランス軍兵士の死体が流れて来ていた。おそらくベトコンに
襲われたのだろうと思った。
 
ところが、我々日本人もそのフランス軍の味方になったというのに
彼らは全然襲って来ないのだ。大勢の白人兵を乗せたトラックに
一人でも日本人が混ざっていれば、これを狙うことはなかったのだ。
 
ベトナム独立を賭けて我々と共に戦ってほしい
ある日、ホーチミンの部下が女性を伴ってやってきて言った。
「我々と共にベトナム独立のために戦ってくれないか。日本軍の強さが必要なのだ」
兵士は下士官に、下士官は将校にしてやる。
妻が必要なら紹介するから、ここで家族を築いても良い。
とにかく特別な待遇を用意しよう。 

8月15日からの戦争・・・ 
彼らの独立にかける想いは強かった。
既にベトナム解放軍に加わった日本人兵士も居るという。
 
自分はどうするべきか・・・。
 
つづく

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