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2015年5月 6日 (水)

本気で死ぬつもりだった。僕の原発決死隊結成

原発決死隊

 
あの時は不思議と死ぬのが全く怖くなかったんです。
何を馬鹿な、と思われるかもしれませんが、当時の僕は本気で考えていた
のです。どうか笑わずに聞いてやって下さい。2011年、東日本大震災に
伴う原発事故で当時、僕が何を考え、計画していたのか、お話しします。
 
事故直後の情報があまりに少なかったでしょう。だから不安は
増す一方で、
いよいよ日本が滅亡するときが来たんだなと
覚悟をしておりました。
 
あまりに少ない原子炉内部の情報、だけど放置しておけば
取り返しのつかないことになるかもしれない。そこで僕は
このサイトと、自身のSNS等をフル活用して自身を含めた
「原発決死隊」を本気で結成することに決めたのです。
 
応募条件は、絶対に生還できないがそれでも構わないという人です。
それで呼びかけを行い、私を含む有志で福島第一原発へ乗り込み
原子炉内部への強行偵察を行うというものでした。
どれくらいの時間、持ちこたえられるかわかりませんが、死んでも
それで日本が助かるなら嘆願しやらせてほしかったのです。
 
遺書を書きました。
乗り込む車を用意し、福島へ出発できる準備は整いました。
原発へのゲートをなんとか突破できないか、策を練っていました。
 
最後まで秘密にしておくつもりが
計画が本気なんだということが身近な人に漏れてしまい
結果的に計画は頓挫してしまったのですが
あのときは、もう夢中で、現在の価値観では狂っていると思われるかも
しれませんが「なんとかしなければ」という一心で、むしろ平常心でした。
 
あのときは本当に死ぬのが怖くなかった。
日記にこんなこと書いてある。 
 
「もし、決死隊を志願できるなら、いますぐ原発行って
僕なんか被爆して死んでも構わないから、放水作業をしたいと思います。
テレビを見ています。なにをやってるんだと。 
それで大勢の命が助かるならそれでいいと思います。 
誰もやらんのなら。俺が行って死んでもやってやるのに!という気持ち。 
だから昨夜はイライラして眠れませんでした。 」
 
時が経って2015年、結局、普通の暮らしができている今、死ぬのが怖いです。
やはりあのときとは環境が異なるからでしょうけれど。
 
勇気とかそういう感情は全然なかったと思います。
ただ、役に立ちたかったんです。自分ひとりの命と引き換えに
多くの命が助かるなら、嬉しいじゃないですか。
役に立てるなら嬉しい。本当にそれだけ。いまでも
不思議なんですが、実に穏やかな気持ちでした。
それでよく考える暇もなかったのですから、行くと決めたんです。
 
遺書まで書いた
あのころの事を色々と思い出します。
 

コメント

こんにちは。お久しぶりのコメントです。
篠原様のお気持ち、70年前の男性たちと同じような気がします。
国の大事に居ても立っても居られない、自分の命と引き換えにしてでもどうにかしたい。
役に立てるなら嬉しい。
どこまでも無私の純粋な気持ちだったのでしょう。
生かされていることに感謝です。

アガタ様、ありがとうございます。
お褒めのお言葉、たいへん有難いのですが
しかし恐れ多いことです。

昨今、一部報道で特攻を美化するなと言いますが、
政治的な背景は全く別として、現在は薄れた無私という概念で
一生懸命国の為に尽くした、あるいは命を捧げた方に感謝することは
自然なことだと考えています。

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