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2013年7月 4日 (木)

ブルービーチの激闘 島武中尉の戦い

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◆島中尉と紅蓮疾風隊
島武中尉(陸士55)は陸軍士官学校出の大男で
彼の率いる 第三中隊は、またの名を「紅蓮疾風隊」と称した。
 
島中隊は日々の訓練で島の周回道路を大行進するが
その様子を眺めていたアンガウル島の女性は皆、
彼に惚れて しまった。
 
島中尉の第三中隊は、かねてより特定の陣地を持たない
遊撃隊であった。 その為、アンガウル戦においての役割は
真っ先に熾烈な敵上陸地点の中へと飛び込むことだった。
 
▼島中尉が大行進したアンガウルの街道。沼尾少尉が玉砕した巴岬も近い  
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◆ブルービーチの激闘
昭和19年、9月17日
アンガウル島で上陸戦が始まる。民間人の多くが疎開した直後だった。

米軍との戦力差は歴然だった。 
戦艦1、重巡2、軽巡2、駆逐艦5以上による艦砲射撃および
航空機のべ1600機による銃爆撃に加え、ポール・J・ミュウラー少将
指揮するアメリカ陸軍第81師団(通称ワイルドキャッツ)一個師団
およそ二万一千名が上陸を開始した。
※1
 
最初に上陸用舟艇が姿を現したのはアンガウル島西の沖で
これを巴岬で見張っていた沼尾才次郎少尉(栃木県日光市出身)が
伝書鳩にて、大隊本部へ 「敵の上陸地点は西港なり」 と連絡。
ただちに島中隊が急行した。※2
 
島武中尉指揮の第三(反撃)中隊は165名。
星野善次郎少尉指揮の工兵第一小隊51名が配属されていた。
 
ところが敵の上陸用舟艇は、洋上に静止したまま 一向に上陸してこない。
これが陽動作戦だと気付いたのは正午頃であった。
島中隊はただちに反転して東港へ上陸中の米軍撃滅に向かうが
米上陸部隊はすでに上陸を開始。同日夕方までに 上陸二地点の
海岸線、それぞれ1000-1500メートルにわたって確保。 東北港
(レッドビーチ)地区では800メートル近く南部へ進出していた。
 
◆米上陸部隊の壊滅
島中隊が上陸を易々と許すはずがなかった。
東港(ブルービーチ)の上陸部隊は島中隊の猛烈な夜襲を受け
明け方の5時過ぎ、一旦海岸近くまで押し戻されてしまった。
押し戻されたのは歩兵321連隊第1大隊B中隊で、死傷者が続出。
大隊長をはじめ、大隊幕僚までが負傷し後送。
壊滅したB中隊は連隊予備のG中隊との交代を余儀なくされた。※1
 
その後、米軍はたちどころに中型戦車と水陸両用戦車十数両を動員、
さらに艦載機の銃爆撃も加えて島中隊を猛攻。
島中隊長は戦死し、中隊も10時頃まで抵抗したがついに玉砕した。

ここまでの抗戦が成せたのは
大陸より転戦せし精強五十九連隊の猛者と
島中尉の指揮ならではの戦い方があったに他ならない。
  

▼それぞれが対峙した東港。現在ブルービーチと呼ばれる場所である。
かつて血で染まったとは思えないほど美しく綺麗な砂浜である。
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▼満潮時
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▼米軍の敷設した物資陸揚げ用レールが残っている。

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▼ブルービーチに生えるパンの木のとまるシロアジサシ。
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※1、月刊沖縄社『徹底抗戦~ペリリュー・アンガウルの玉砕』 112-113頁
※2、船坂弘著『英霊の絶叫・玉砕島アンガウル』 33頁

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