« ペリリュー天野戦車隊 九五式軽戦車「いづも」 | メイン | ブルドーザーは戦車より脅威 »

2011年8月16日 (火)

ガラスマオの滝と戦跡史跡探索

Imgp6398_2

 

ガラスマオの滝へ行ってきました。
オプショナルツアーが一般的ですが個人行っても問題ありません。
行く場合は滝への入口で、5ドルの入州税のみ支払いましょう。
 
ジャングルを流れる川をザブザブと歩いて行きます。
とても涼しげです気分が良いです。滝までは入口から40分くらいでしょうか。
歩く速度で個人差があります。
 
滝のすぐそばに行けます。打たれることもできます。
肩に重くのしかかり、けっこう痛いですけど。
日本人のオキャクサンここにくるとみんな
シュギョウといってあぐらをかくのが恒例だそうです。
 
滝までの道のり
 

20100206_334

20100206_337

20100206_328

ケーブルカーのレール跡が残っています。
これは日本統治時代の名残です。
ガラスマオで採掘されたボーキサイト(アルミの原料)をトロッコで運んだ跡です。
機関車も残っています。 この石がボーキサイト。これがアルミになり
最終的に飛行機の材料となります。
 

20100206_343

20100206_325

20100206_345

 
ようやく川に出ました。涼しくて気持ちが良いです。
ここから先は腰まで水につかって歩くので、濡れても良い恰好で。

20100206_347

 
川の途中にあります小さなダムのようなところは
これもボーキサイト産業の名残。洗鉱(せんこう)場です。
 
泥や土にまみれたボーキサイトの原石をここで
綺麗に洗い流します。
 

Imgp6391

Suizinsama022_2

 
これは水神様の祠(ほこら)です。「水天宮」と刻まれています。
70年以上前の当時から、ここに鎮座しています。

水上様をお祀りすることで、作業の安全を祈ったんですね。
 
ちょっとだけ川の上流へ寄り道したところにあるのですが
これを見つける人はすくないだろうなぁ。歴史あるものだから
ツアーで紹介すればいいのに、と思います。
 

Imgp6398_3

20100206_359

20100206_362


約30分のトレッキングで滝へ到着。
パラオといえば、海もいいけど
ジャングルもいい!
 
このスケールは必見!

日本の観光地では滝つぼで
滝に打たれる経験など
まずできないでしょう。
  







 
ボーキサイト積載場跡へ
さて、来た道を戻りまして、ボーキサイトの遺構を見学していきましょう。
 
ガラスマオの集落を抜け、海を目指します。
レンタカーは日本の中古車マーチ号。
 

Imgp8184

Imgp8181

Imgp8174

 
どんどん走って突堤の先端まで行きましょう。道沿いに

コンクリートの基礎が並んでいます。これはなんの跡だろう?
 

Imgp3563

Imgp3564

何か見えてきました。
 

Imgp3557

Imgp3560

Imgp3559

でーん!!!!
 
これはさきほど、ガラスマオの滝で見たボーキサイトの鉱石が
ここまでコンベアーで運ばれ船に積み込まれるところです。
 
道沿いに点在していたコンクリートの基礎は
コンベアーの支柱でした。
 
およそ70年前。戦前から戦中にかけて
我々日本人の先輩方が南洋開拓で一生懸命汗を流し、頑張っていた

その遺構です。
 

アルミの村
ガラスマオ一帯はかつてボーキサイト採掘により賑わった。
 
昭和13年、南洋アルミニウム鉱業株式会社によって着手された
ボーキサイト(アルミニウム原料)の採掘はガラスマオ鉱区において
年産3万トン、翌昭和14年は8万トンを採掘するに至り
アンガウル島の燐鉱とともにパラオの主要産業として
祖国の繁栄に寄与した。
 
現在でもその跡を工程順に見ることができる。
採掘場から採取されたボーキサイトの鉱石は
ガソリン機関車(合計10台)に牽引されたトコッコ(合計550台)で
銑鋼場へ運ばれる。精鉱後、ベルトコンベアーで貯鉱場に運ばれ
波止場から船積みされ内地へ輸送された。
敗戦とともに消滅したボーキサイト産業であったが現地に
おける埋蔵量は600万トンとも推定され、現在に至っても
パラオ共和国の有効な鉱物資源として活用可能である。
 
※このほかアルマテン鉱区が稼働したが
付近に海軍砲台(アルマテン砲台)があったため
昭和17年7月に稼働を中止した。

 

Imgp3553_2 

さて、帰りながらまた別の遺構を見学していきましょう。
 

0731_057_2 

これはコンパクト道路沿いに残る機関砲陣地跡。
14師団の主力はペリリュー島で第二連隊が玉砕した後も
パラオ本島決戦に備えていましたが、大痛手を食らった米海兵隊は
直接対峙を避け、本島を兵糧攻めにし、終戦まで孤立させました。
この兵糧攻めより、4800名以上の兵隊さんが飢えと病気により
亡くなっています。
   
この機関砲陣地はかなりわかりにくい場所にあるので、
ガイドに聞くのが一番です。 

 

Imgp8186

バベルダオブのコンパクト道路を通って帰ります。途中
世界一、人口が少ない首都といわれる
マルキョクの国会議事堂がポツンと丘の上に立っています。
 
 
以上、
ガラスマオには多く日本統治時代の歴史がつまっています。
当時に思いを馳せてみると何倍も味わい深いものになるでしょう。

コメント

コメントを投稿