2018年1月17日 (水)

陸軍飛行戦隊データベース

陸軍飛行戦隊のデータベースを作っています。
海軍航空隊の情報は充実しているのですが、陸軍飛行戦隊は
ほとんど検索しても出てこないので、興味を持って調べられた方の
きっかけになりたいと願っております。
 
陸軍の航空機運用は、歩兵の支援機関であり、古くは明治42年に発足した
気球研究会が始まりです。
 
固定翼機が活躍した大東亜戦争時の基本部隊編成を役割ごとに分けると
戦闘機隊・襲撃機隊・軽爆撃機隊・重爆撃機隊・偵察機隊・輸送飛行隊があります。
海軍と比較して部隊が規模が小さく数が多いのが特徴です。
陸軍の歩兵中隊をベースに考えるとわかりやすく、
陸軍飛行戦隊は3機~4機を一個中隊(飛行隊と呼ぶ場合も)として
第一から第三、第四中隊で一個の飛行戦隊となり、おおむね16機程度となります。
 
飛行戦隊以外に
師団司令部直轄飛行隊、独立飛行中隊、教育飛行隊、飛行学校、教導飛行師団、
航空廠等も揃えて参ります。
 
部隊名のみ記入し、概要と航空機のビジュアル等は
完成次第、追加して行きます。
 
ちょっと多すぎるので、ページを分けます。
 
部隊名など、文字検索の方法(win)
Ctrl+Fキーを同時に押すと画面右上にウインドウが現れ
ページ内部検索ができます。
  
部隊名など、文字検索の方法(Mac)
command+Fキーを同時に押すと画面右上にウインドウが現れ
ページ内部検索ができます。

  
凡例
(1)部隊名、機種、通称号
(2)編成時期
(3)編成地
(4)概要
(5)復帰地
 
◆飛行戦隊
  
(1)飛行第一戦隊 戦闘、威第8301
(2)昭和13年7月5日
(3)各務原
(4)
(5)高荻
 
(1)飛行第二戦隊 偵察、威第11614
(2)昭和13年7月31日
(3)各務原
(4)
(5)昭和20年7月15日、福岡
 
(1)飛行第三戦隊 軽爆・偵察・襲撃、誠第18967
(2)昭和13年8月31日
(3)八日市
(4)
(5)昭和20年9月1日、能代復員
 
(1)飛行第四戦隊 偵察・戦闘、天風第35001
(2)昭和13年8月31日
(3)芦屋
(4)
(5)昭和20年8月15日、小月
 
(1)飛行第五戦隊 戦闘、天鷲第15310
(2)昭和13年8月31日
(3)立川
(4)
(5)昭和20年8月15日、清州
 
(1)飛行第六戦隊 軽爆、隼魁第9102
(2)昭和13年8月31日
(3)平壌
(4)
(5)調布
 
(1)飛行第七戦隊 重爆、靖第21202
(2)昭和13年8月31日
(3)浜松
(4)
(5)伊丹
 
(1)飛行第八戦隊 司偵・軽爆
(2)誠第9913
(3)昭和13年8月31日
(4)
(5)?
 
(1)飛行第九戦隊 戦闘、隼魁第9103
(2)昭和13年7月1日
(3)会寧
(4)
(5)南京
 
(1)飛行第十戦隊 偵察・軽爆、誠第9624
(2)昭和13年8月31日
(3)嫩江
(4)
(5)台北
 
(1)飛行第十一戦隊 戦闘、燕第8311
(2)昭和13年8月31日
(3)ハルピン
(4)
(5)高荻
 
(1)飛行第十二戦隊 重爆、誠第9122
(2)昭和13年8月31日
(3)公主嶺
(4)
(5)?
 
(1)飛行第十三戦隊 戦闘、誠第11703
(2)昭和13年8月30日
(3)加古川
(4)
(5)?東
 
(1)飛行第十四戦隊 重爆、燕第9906
(2)昭和13年8月31日
(3)嘉義
(4)
(5)新田
 
(1)飛行第十五戦隊 偵察、威第8315
(2)昭和13年8月31日
(3)新京
(4)
(5)昭和20年5月
 
(1)飛行第十六戦隊 軽爆、隼魁第9142
(2)昭和13年8月31日
(3)海浪
(4)
(5)平壌
 
(1)飛行第十七戦隊 戦闘、誠第15351
(2)昭和19年2月10日
(3)各務原
(4)
(5)花連港
 
(1)飛行第十八戦隊 戦闘、天翔第19190
(2)昭和19年2月10日
(3)調布
(4)
(5)松戸
 
(1)飛行第十九戦隊 戦闘、誠第15352
(2)昭和19年2月11日
(3)明野
(4)
(5)花連港
 
(1)飛行第二十戦隊 戦闘、誠第18968
(2)昭和18年12月1日
(3)伊丹
(4)
(5)小港
 
(1)飛行第二十一戦隊 戦闘、誠第11050
(2)昭和17年10月20日
(3)ハノイ
(4)
(5)主力・桃園 一部スマトラ
 
(1)飛行第二十二戦隊 戦闘、隼第18913
(2)昭和19年3月5日
(3)福生
(4)
(5)晋州
 
(1)飛行第二十三戦隊 戦闘、天翔第19026
(2)昭和19年10月11日
(3)印旛
(4)
(5)印旛
 
(1)飛行第二十四戦隊 戦闘、誠第9602
(2)昭和13年9月1日
(3)ハルピン
(4)
(5)宜蘭
 
(1)飛行第二十五戦隊 戦闘、隼魁第2387
(2)昭和17年10月20日
(3)漢口
(4)
(5)水原
 
(1)飛行第二十六戦隊 戦闘・軽爆、誠第8399
(2)昭和17年10月2日
(3)衙門屯
(4)
(5)台東
 
(1)飛行第二十七戦隊 軽爆、威第9123
(2)昭和13年8月1日
(3)石家荘
(4)
(5)7月15日(?)所沢にて復帰
 
(1)飛行第二十八戦隊 偵察・戦闘、天翔第9160 
(2)昭和14年6月1日
(3)新京
(4)
(5)昭和20年7月10日東金にて復帰
 
(1)飛行第二十九戦隊 偵察・戦闘・司偵、誠第9163
(2)昭和14年7月15日
(3)各務原
(4)
(5)台中
 
(1)飛行第三十戦隊 襲撃・戦闘 高第9198
(2)昭和18年10月1日
(3)東京城
(4)
(5)昭和20年5月2日?東にて復帰
 
(1)飛行第三十一戦隊 軽爆・襲撃・戦闘、威第9623
(2)昭和13年8月
(3)南苑
(4)
(5)昭和20年5月30日シンガポールにて復帰
 
(1)飛行第三十二戦隊 軽爆、鏑第9142
(2)昭和14年10月5日
(3)杏樹
(4)
(5)計根別
 
(1)飛行第三十三戦隊 戦闘、高第9144
(2)昭和13年8月1日
(3)杏樹
(4)
(5)昭和20年6月20日メダンにて復帰
 
(1)飛行第三十四戦隊 軽爆、洋第11051
(2)昭和17年10月15日
(3)プノンペン
(4)
(5)昭和19年8月20日、ニューギニヤ
 
(1)飛行第三十八戦隊 司偵、鏑第19342
(2)昭和18年4月15日
(3)樺太大谷
(4)
(5)帯広
 
(1)飛行第四十四戦隊 偵察、隼魁第2376
(2)昭和14年7月
(3)漢口
(4)
(5)大田
 
(1)飛行第四十五戦隊 軽爆、威第10654
(2)昭和13年7月27日
(3)安慶
(4)
(5)鉾田
 
(1)飛行第四十七戦隊 戦闘、天風第34212
(2)昭和17年5月30日
(3)柏
(4)
(5)小月
 
(1)飛行第四十八戦隊 戦闘、隼魁第16618
(2)昭和18年7月30日
(3)牡丹江
(4)
(5)昭和20年8月15日、泰県
 
(1)飛行第五十戦隊 戦闘、誠第9914
(2)昭和15年9月10日
(3)台中
(4)
(5)嘉義
 
(1)飛行第五十一戦隊 戦闘、威第18424
(2)昭和19年4月28日
(3)小月
(4)
(5)下館
 
(1)飛行第五十二戦隊 戦闘、威第18425
(2)昭和19年4月28日
(3)防府
(4)
(5)調布
 
(1)飛行第五十三戦隊 戦闘、天翔第18426
(2)昭和19年4月3日
(3)所沢
(4)
(5)藤ヶ谷
 
(1)飛行第五十四戦隊 戦闘、鏑第19272
(2)昭和16年7月26日
(3)柏
(4)
(5)札幌9月主力復員
 
(1)飛行第五十五戦隊 戦闘、鷲第18427
(2)昭和19年4月30日
(3)大正
(4)
(5)8月30日、佐野
 
(1)飛行第五十六戦隊 戦闘、天鷲第18428
(2)昭和19年4月26日
(3)大正
(4)
(5)伊丹
 
(1)飛行第五十八戦隊 重爆、誠第9145
(2)昭和13年8月31日
(3)公主嶺
(4)
(5)草屯
 
(1)飛行第五十九戦隊 戦闘、天風第2377
(2)昭和13年7月1日
(3)各務原
(4)
(5)芦屋
 
(1)飛行第六十戦隊 重爆、威第2378
(2)昭和13年8月1日
(3)彰徳
(4)
(5)熊本
 
(1)飛行第六十一戦隊 重爆、誠第9604
(2)昭和13年8月31日
(3)チチハル
(4)
(5)嘉義
 
(1)飛行第六十二戦隊 重爆、灘第9908
(2)昭和16年11月14日
(3)帯広
(4)
(5)西筑波
 
(1)飛行第六十三戦隊 戦闘、洋第15378
(2)昭和18年2月25日
(3)八戸
(4)
(5)昭和19年7月25日、サルミに於て復帰
 
(1)飛行第六十四戦隊 戦闘、高第9124
(2)昭和13年8月1日
(3)彰徳
(4)
(5)8月22日クラコール 昭和21年4月25日サンジャック出発 5月4日大竹上陸復員
 
(1)飛行第六十五戦隊 襲撃・軽爆、威第9104
(2)昭和13年7月27日
(3)会寧
(4)
(5)目達原
 
(1)飛行第六十六戦隊 襲撃、鷲第9150
(2)昭和17年3月31日
(3)平壌
(4)
(5)大刀洗
 
(1)飛行第六十七戦隊 襲撃、誠第18969
(2)昭和18年2月25日
(3)八戸
(4)
(5)昭和20年5月30日ザンボアンガに於て現地復帰
 
(1)飛行第六十八戦隊 戦闘、真第9151
(2)昭和16年7月29日
(3)会寧
(4)
(5)昭和19年8月20日サルミに於て復帰
 
(1)飛行第七十戦隊 戦闘、天翔第8370
(2)昭和16年3月5日
(3)杏樹
(4)
(5)松戸
 
(1)飛行第七十一戦隊 戦闘、誠第18429
(2)昭和19年9月17日
(3)亀山
(4)
(5)防府
 
(1)飛行第七十二戦隊 戦闘、威第18430
(2)昭和19年5月16日
(3)北伊勢
(4)
(5)昭和20年5月30日部隊復帰
 
(1)飛行第七十三戦隊 戦闘、威第18431
(2)昭和19年9月17日
(3)柏原
(4)
(5)昭和20年5月30日オロラに於て復帰
 
(1)飛行第七十四戦隊 重爆、威第9132
(2)昭和17年12月20日
(3)公主嶺
(4)
(5)松本
 
(1)飛行第七十五戦隊 軽爆、輝第2379
(2)昭和13年8月1日
(3)北京
(4)
(5)八戸
 
(1)飛行第七十七戦隊 戦闘、翔第9625
(2)昭和13年7月30日
(3)南京
(4)
(5)昭和19年8月20日ホランジアに於て現地復帰
 
(1)飛行第七十八戦隊 戦闘、真第9152
(2)昭和17年3月31日
(3)杏樹
(4)
(5)昭和19年8月20日サルミに於て現地復帰
 
(1)飛行第八十一戦隊 司偵、高第2380
(2)昭和19年9月20日
(3)彰徳
(4)
(5)レグー
 
(1)飛行第八十二戦隊 司偵、隼魁第2383
(2)昭和19年10月31日
(3)漢口
(4)
(5)京城
 
(1)飛行第八十三戦隊 偵察、灘第11070
(2)昭和16年3月1日
(3)海林
(4)
(5)昭和20年5月30日クチンにて復帰
 
(1)飛行第八十五戦隊 戦闘、隼魁第8385
(2)昭和16年3月7日
(3)孫家
(4)
(5)京城
 
(1)飛行第八十七戦隊 戦闘、冨第8387
(2)昭和16年3月1日
(3)ハルピン
(4)
(5)タンジユンバト
 
(1)飛行第九十戦隊 軽爆、隼魁第2381
(2)昭和13年8月1日
(3)南苑
(4)
(5)虹橋・済南
 
(1)教導飛行第九十五戦隊 重爆、満洲第950
(2)昭和17年12月18日
(3)鎭東
(4)
(5)昭和19年1月30日拉林にて飛行第95戦隊と改称
 
(1)飛行第九十五戦隊 重爆、威第9132
(2)昭和19年1月30日
(3)拉林
(4)
(5)昭和20年5月10日帯広に於て復帰
 
(1)飛行第九十八戦隊重爆、靖第21203
(2)昭和13年8月15日
(3)上海
(4)
(5)主力・児玉
 
(1)飛行第百一戦隊 戦闘、靖第18920
(2)昭和19年11月10日
(3)北伊勢
(4)
(5)高荻
 
(1)飛行第百二戦隊 戦闘、靖第18921
(2)昭和19年7月25日
(3)北伊勢
(4)
(5)昭和20年7月30日 成増にて復帰
 
(1)飛行第百三戦隊 戦闘、靖第18922
(2)昭和19年7月25日
(3)北伊勢
(4)
(5)由良
 
(1)飛行第百四戦隊 戦闘、羽第18923
(2)昭和19年8月15日
(3)小月
(4)
(5)鞍山
 
(1)飛行第百五戦隊 戦闘、誠第19102
(2)昭和19年7月15日
(3)台中
(4)
(5)宜蘭
 
(1)飛行第百六戦隊 司偵、靖第18924
(2)昭和19年10月24日
(3)各務原
(4)
(5)昭和20年4月20日
 
(1)飛行第百七戦隊 防空戦闘・重爆、燕第18925
(2)昭和19年11月10日
(3)浜松
(4)
(5)昭和20年7月30日浜松に於て復帰
 
(1)飛行第百八戦隊 輸送、誠第19103
(2)昭和19年8月下旬
(3)嘉義
(4)
(5)樹林口
 
(1)飛行第百九戦隊 輸送、威第11091
(2)昭和19年10月8日
(3)シンガポール
(4)
(5)仏印
 
(1)飛行第百十戦隊 重爆、靖第19027
(2)昭和19年10月
(3)浜松
(4)
(5)隈之庄
 
(1)飛行第百十一戦隊 戦闘、帥第34217
(2)昭和20年7月10日
(3)明野
(4)
(5)小牧
 
(1)飛行第百十二戦隊 戦闘、帥第34218
(2)昭和20年7月28日
(3)新田
(4)
(5)新田
 
(1)飛行第百四十四戦隊 戦闘、帥第34213
(2)昭和16年7月30日
(3)豊岡
(4)
(5)昭和16年11月、調布
 
(1)飛行第二百戦隊 戦闘、威第19028
(2)昭和19年10月12日
(3)明野
(4)
(5)昭和20年5月16日所沢にて復帰
 
(1)教導飛行第二百四戦隊 戦闘、誠第11071
(2)昭和17年3月
(3)満洲・竜江省・鎭西
(4)
(5)昭和19年2月22日ラングーンにて人員を増強し飛行第204戦隊と改称
 
(1)飛行第二百四戦隊 戦闘、誠第11071
(2)昭和19年2月22日
(3)ラングーン
(4)
(5)花連港
 
(1)教導飛行第二百六戦隊 軽爆・偵察、満洲第8326
(2)昭和16年3月1日
(3)新京
(4)
(5)昭和16年7月23日臨時編成下令
 
(1)飛行第二百八戦隊 軽爆、靖第8328
(2)昭和16年3月31日
(3)牡丹江
(4)
(5)昭和20年5月復帰
 
(1)飛行第二百四十四戦隊 戦闘、帥第34213
(2)昭和16年11月
(3)調布
(4)
(5)八日市
 
(1)飛行第二百四十六戦隊 戦闘、天鷲第19196
(2)昭和17年6月30日
(3)加古川
(4)
(5)大正
 
(1)飛行第二百四十八戦隊 戦闘、洋第15389
(2)昭和17年8月10日
(3)小月
(4)
(5)8月20日ホランジアにて現地復帰
 
(1)集成飛行戦隊
(2)昭和20年1月
(3)ルソン島
(4)
(5)昭和20年3月復帰
 
◆独立飛行隊
 
(1)第一独立飛行隊 司偵、帥第16631
(2)昭和19年4月30日
(3)敦化
(4)
(5)昭和20年5月15日平壌にて復帰
 
(1)第一独立飛行隊 司偵、帥第34219
(2)昭和20年6月
(3)八街
(4)
(5)8月15日八街
 
(1)第二独立飛行隊 重爆、帥第34223
(2)昭和19年10月31日
(3)浜松
(4)
(5)昭和20年2月浜松にて復帰
 
(1)第二独立飛行隊 司偵、帥第19029
(2)昭和20年7月18日
(3)大阪
(4)
(5)8月15日小牧
 
(1)第三独立飛行隊 司偵
(2)昭和19年1月
(3)温春
(4)
(5)昭和19年調布にて復帰
 
(1)第三独立飛行隊 重爆、帥第19030
(2)昭和19年10月31日
(3)鉾田
(4)
(5)昭和20年6月熊本にて復帰
 
(1)第四独立飛行隊 司偵、帥第19031
(2)昭和19年10月31日
(3)下志津
(4)
(5)昭和20年5月2日、鹿屋
 
(1)第十独立飛行隊 偵察、高第9640
(2)昭和16年7月28日
(3)嫩江(満洲)
(4)
(5)昭和18年6月10日
 
(1)第十二独立飛行隊 司偵、靖第11614
(2)昭和20年7月15日
(3)福岡(蓆田)
(4)
(5)昭和20年8月15日、福岡
 
(1)第十五独立飛行隊 司偵、威(信)第8315
(2)昭和16年7月29日
(3)新京
(4)
(5)昭和19年1月31日、新京
 
(1)第十六独立飛行隊 司偵、燕第18999
(2)昭和19年9月15日
(3)児玉
(4)
(5)昭和20年7月5日児玉にて復帰
 
(1)第十七独立飛行隊 司偵、帥第34214
(2)昭和19年9月15日
(3)調布
(4)
(5)昭和20年7月15日調布にて復帰
 
(1)第十九独立飛行隊 司偵、靖第21204
(2)昭和19年9月15日
(3)調布
(4)
(5)昭和20年7月30日調布にて復帰
 
(1)第二十一独立飛行隊 戦隊・爆撃、司第
(2)昭和14年7月6日
(3)廣東
(4)
(5)昭和17年10月15日ハノイにて復帰
 
(1)第二十八独立飛行隊 司偵、鷲第
(2)昭和16年7月30日
(3)温春
(4)
(5)昭和19年4月温春にて飛行第28戦隊に復帰
 
(1)第二十八独立飛行隊 戦闘、帥第
(2)昭和20年7月15日
(3)東金
(4)
(5)8月15日、東金
 
(1)第二十九独立飛行隊 軍偵、栄第9163
(2)昭和16年7月29日
(3)連浦
(4)
(5)昭和19年2月5日、海林
 
(1)第三十八独立飛行隊 司偵、鏑第19342
(2)昭和20年7月10日
(3)帯広
(4)
(5)8月15日、帯広
 
(1)第八十三独立飛行隊 軍偵、司第9172 
(2)昭和16年7月29日
(3)海林
(4)
(5)昭和19年3月31日、ラングーン
 
(1)第二百六独立飛行隊 直協・対潜、靖第21201
(2)昭和16年7月23日
(3)白城子
(4)
(5)8月15日、海雲台
 
◆独立飛行中隊
 
(1)独立飛行第一中隊 対潜
(2)昭和19年7月20日
(3)海雲台
(4)
(5)昭和20年8月15日、海雲台
 
(1)独立飛行第三中隊 戦闘
(2)昭和7年2月
(3)大刀洗
(4)
(5)昭和7年5月、事変終結により帰還
 
(1)独立飛行第三中隊 重爆
(2)昭和12年7月8日
(3)浜松
(4)
(5)昭和13年8月15日、王賓飛行場
 
(1)独立飛行第四中隊 偵察、満洲第691
(2)昭和12年7月15日
(3)大刀洗
(4)
(5)昭和13年7月27日、安慶
 
(1)独立飛行第六中隊 偵察 
(2)昭和12年7月23日
(3)大刀洗
(4)
(5)昭和13年7月27日、安慶
 
(1)独立飛行第七中隊 偵察
(2)昭和2年5月17日
(3)大刀洗
(4)
(5)昭和4年5月17日原隊復帰
 
(1)独立飛行第八中隊 偵察
(2)昭和6年9月19日
(3)平壌
(4)
(5)昭和8年6月17日、平壌
 
(1)独立飛行第九中隊 偵察
(2)昭和6年9月19日
(3)承徳
(4)
(5)昭和8年6月17日関東軍飛行隊飛行第10大隊に編入
 
(1)独立飛行第九中隊 戦闘
(2)昭和12年7月
(3)平壌
(4)
(5)昭和14年2月、彰徳
 
(1)独立飛行第十中隊 戦闘
(2)昭和6年9月19日
(3)平壌
(4)
(5)昭和8年6月17日関東軍飛行隊飛行第11大隊第4中隊に編入
 
(1)独立飛行第十中隊 戦闘
(2)昭和12年9月6日
(3)?東
(4)
(5)昭和17年10月20日、漢口
 
(1)独立飛行第十一中隊 爆撃
(2)昭和12年9月6日
(3)?東
(4)
(5)昭和13年7月27日、安慶
 
(1)独立飛行第十四中隊 戦闘
(2)昭和12年7月
(3)?東
(4)
(5)
 
(1)独立飛行第十五中隊 爆撃
(2)昭和12年9月28日
(3)嘉義
(4)
(5)昭和13年8月15日、王賓
 
(1)独立飛行第十五中隊 戦闘
(2)昭和19年10月
(3)台中
(4)
(5)
 
(1)独立飛行第十六中隊 司偵
(2)昭和13年8月1日
(3)
(4)
(5)昭和16年9月20日、彰徳
 
(1)独立飛行第十六中隊 司偵、燕第18999
(2)昭和19年7月30日
(3)大阪
(4)
(5)昭和19年9月15日、児玉
 
(1)独立飛行第十七中隊 直協
(2)昭和13年8月1日
(3)
(4)
(5)昭和15年9月3日飛行第44戦隊に編入
 
(1)独立飛行第十七中隊 司偵、帥第34214
(2)昭和19年3月31日
(3)調布
(4)
(5)昭和19年9月15日、調布
 
(1)独立飛行第十八中隊 司偵、隼第2383
(2)昭和13年2月
(3)中国
(4)
(5)昭和19年10月31日、漢口
 
(1)独立飛行第十九中隊 司偵(防空)、靖第21204
(2)昭和19年7月30日
(3)小月
(4)
(5)昭和19年9月15日、小月
 
(1)独立飛行第二十中隊 輸送、威第15382
(2)昭和18年5月15日
(3)
(4)
(5)5月30日比島にて復帰
 
(1)独立飛行第二十三中隊 戦闘、誠第41
(2)昭和19年1月20日
(3)大刀洗
(4)
(5)9月2日花連港にて停戦
 
(1)独立飛行第二十四中隊 戦闘、誠第16500
(2)昭和19年2月29日
(3)広東
(4)
(5)8月15日宜蘭にて終戦
 
(1)独立飛行第二十五中隊 戦闘、羽第16682
(2)昭和19年8月25日
(3)鞍山
(4)
(5)昭和20年8月15日、終戦
 
(1)独立飛行第三十一中隊 重爆、威第18902
(2)昭和19年6月20日
(3)水戸
(4)
(5)昭和20年5月30日比島復帰
 
(1)独立飛行第四十一中隊 襲撃・対潜、誠第16683
(2)昭和19年8月20日
(3)満洲
(4)
(5)9月2日宜蘭にて停戦
 
(1)独立飛行第四十二中隊 対潜、誠第19104
(2)昭和19年10月30日
(3)潮洲
(4)
(5)8月15日、台北
 
(1)独立飛行第四十三中隊 対潜、誠第19108
(2)昭和19年10月30日
(3)恒春
(4)
(5)8月15日、宜蘭
 
(1)独立飛行第四十四中隊 対潜、(冀)(台)第18970
(2)昭和19年6月10日
(3)郡山
(4)
(5)昭和20年6月23日、ケニンゴー
 
(1)独立飛行第四十五中隊 対潜、翼第18971
(2)昭和19年10月20日
(3)比島
(4)
(5)8月15日、比島にて終戦
 
(1)独立飛行第四十六中隊 対潜、誠第19170
(2)昭和19年10月20日
(3)東京
(4)
(5)9月2日、台湾にて停戦
 
(1)独立飛行第四十七中隊 戦闘
(2)昭和16年9月5日
(3)福生
(4)
(5)昭和18年10月3日、柏
 
(1)独立飛行第四十七中隊 対潜、誠第9910
(2)昭和19年10月20日
(3)台東
(4)
(5)昭和20年8月15日、台東にて終戦
 
(1)独立飛行第四十八中隊 対潜、誠第9911
(2)昭和19年10月30日
(3)花連港
(4)
(5)8月15日、台中にて終戦
 
(1)独立飛行第四十九中隊 対潜、誠第9912
(2)昭和19年10月30日
(3)台北
(4)
(5)9月2日、台北にて停戦
 
(1)独立飛行第五十中隊 司偵、隼第8350
(2)昭和16年7月29日
(3)新京
(4)
(5)昭和19年1月31日、新京
 
(1)独立飛行第五十一中隊 司偵、隼第8351
(2)昭和16年7月29日
(3)広東
(4)
(5)昭和19年1月31日、新京
 
(1)独立飛行第五十二中隊 軍偵、威第10655
(2)昭和16年7月29日
(3)白城子
(4)
(5)昭和20年9月16日、ヨネスにて解散
 
(1)独立飛行第五十三中隊 軍偵、翼
(2)昭和17年3月31日
(3)衙門屯
(4)
(5)8月31日、佳木斯
 
(1)独立飛行第五十四中隊 直協、隼魁第8354
(2)昭和16年7月23日
(3)白城子
(4)
(5)昭和20年8月15日、杭州にて終戦
 
(1)独立飛行第五十五中隊 司偵、隼第2386
(2)昭和17年3月31日
(3)ドムアン
(4)
(5)昭和19年10月31日、南京
 
(1)独立飛行第六十三中隊 司偵、鷲
(2)昭和16年7月30日
(3)温春
(4)
(5)昭和19年4月、温春
 
(1)独立飛行第六十六中隊 軍偵・対潜、靖第9171
(2)昭和16年7月29日
(3)連浦
(4)
(5)昭和20年8月15日、海雲台
 
(1)独立飛行第七十中隊 司偵、司第9641
(2)昭和17年7月28日
(3)チチハル
(4)
(5)昭和20年8月15日、ジャワにて終戦
 
(1)独立飛行第七十一中隊 軍偵・戦闘、誠第9180
(2)昭和16年7月29日
(3)海林
(4)
(5)昭和20年8月15日、一部アロールスターにて終戦
 
(1)独立飛行第七十三中隊 軍偵、司第9181
(2)昭和16年7月29日
(3)海林
(4)
(5)昭和20年9月2日、ジャワにて停戦
 
(1)独立飛行第七十四中隊 直協・司偵、翔第9643
(2)昭和16年7月28日
(3)衙門屯
(4)
(5)昭和20年8月15日、ゲルンバンにて終戦
 
(1)独立飛行第七十六中隊 司偵、洋 高第9642
(2)昭和16年7月28日
(3)衙門屯
(4)
(5)昭和18年6月10日、ラバウル


(1)独立飛行第八十一中隊 司偵
(2)昭和16年7月30日
(3)温春
(4)
(5)昭和19年4月、温春
 
(1)独立飛行第八十一中隊 司偵、羽第9162
(2)昭和19年4月1日
(3)温春
(4)
(5)昭和20年8月15日、新京にて終戦
 
(1)独立飛行第八十二中隊 軽爆
(2)昭和14年7月6日
(3)広東
(4)
(5)昭和17年10月15日飛行第34戦隊に改編
 
(1)独立飛行第八十二中隊 司偵
(2)昭和17年12月
(3)温春
(4)
(5)昭和19年10月29日内地帰還
 
(1)独立飛行第八十二中隊 司偵(防空)、天鷲第19529
(2)昭和20年2月25日
(3)大正
(4)
(5)昭和20年8月10日第28独立飛行隊に編入
 
(1)独立飛行第八十三中隊 軍偵、天風第19530
(2)昭和14年8月1日
(3)彰徳
(4)
(5)昭和19年7月25日、現地復帰
 
(1)独立飛行第八十三中隊 司偵(防空)
(2)昭和20年2月25日
(3)
(4)
(5)昭和20年7月30日
 
(1)独立飛行第八十四中隊 戦闘
(2)昭和14年7月6日
(3)広東
(4)
(5)昭和17年10月20日、ハノイ
 
(1)独立飛行第八十四中隊 戦闘、翔
(2)昭和20年2月25日
(3)パレンバン
(4)
(5)昭和20年5月30日
 
(1)独立飛行第八十五中隊 司偵、鷲
(2)昭和17年秋
(3)温春
(4)
(5)昭和19年1月31日
 
(1)独立飛行第八十七中隊 軍偵、満洲
(2)昭和16年7月29日
(3)連浦
(4)
(5)昭和19年2月5日、海林
 
(1)独立飛行第八十九中隊 直協・軍偵、司偵
(2)昭和16年7月29日
(3)海林
(4)
(5)昭和19年3月31日、ラングーン
 
(1)独立飛行第九十中隊 軍偵
(2)昭和17年4月
(3)太原
(4)
(5)昭和19年2月5日、海林
 
(1)独立飛行第九十一中隊 直協、(司)(高)(灘)
(2)
(3)
(4)
(5)昭和19年3月31日、ラングーン
 
(1)独立飛行第九十六中隊 直協
(2)昭和16年7月25日
(3)
(4)
(5)昭和19年2月5日、海林
 
(1)独立飛行第百一中隊 司偵
(2)昭和16年7月20日
(3)調布
(4)
(5)昭和17年4月21日、調布
 
(1)独立飛行第百二中隊 司偵
(2)昭和16年7月20日
(3)加古川
(4)
(5)昭和17年4月21日、加古川
 
(1)独立飛行第百三中隊 司偵
(2)昭和16年7月20日
(3)小月
(4)
(5)昭和17年4月21日、小月
 
◆直協飛行隊
 
(1)第一直協飛行隊 直協
(2)昭和13年8月31日
(3)岐阜
(4)
(5)昭和14年5月30日、内地復帰
 
(1)第六直協飛行隊 直協、誠第171
(2)昭和16年7月18日
(3)各務原
(4)
(5)昭和19年10月20日、台東
 
(1)第七直協飛行隊 直協、誠第172
(2)昭和16年7月18日
(3)各務原
(4)
(5)昭和19年10月30日、花連港
 
(1)第八直協飛行隊 直協、誠第173
(2)昭和16年7月18日
(3)各務原
(4)
(5)昭和19年10月30日、台北
 
(1)東部軍直協飛行隊 直協、東部第125
(2)昭和17年12月30日
(3)柏
(4)
(5)昭和19年10月20日、東京
 
(1)中部軍直協飛行隊 直協
(2)昭和17年8月10日
(3)帯広
(4)
(5)昭和19年10月30日、恒春
 
(1)西部軍直協飛行隊 直協、西部第127
(2)昭和17年12月30日
(3)柏
(4)
(5)昭和19年6月10日、郡山
 
(1)北部軍直協飛行隊 直協、北部第89
(2)昭和17年5月30日
(3)
(4)
(5)昭和19年10月30日、潮洲
 
(1)朝鮮軍直協飛行隊 直協、朝第102
(2)昭和17年5月20日
(3)京城
(4)
(5)昭和19年10月20日、比島
 
(1)第八方面軍飛行隊 直協、剛第11254
(2)昭和20年4月15日
(3)ラバウル
(4)
(5)昭和20年8月15日、ラバウル
 
◆独立・直轄飛行隊
 
(1)砲兵協力飛行班 教育
(2)昭和18年頃
(3)下志津
(4)
(5)昭和20年8月15日、銚子
 
(1)海燕第一飛行隊 対潜
(2)昭和20年5月25日
(3)広島
(4)
(5)昭和20年8月15日、蔚山
 
(1)海燕 対潜
(2)昭和20年8月1日
(3)新潟
(4)
(5)昭和20年8月15日、新潟
 
(1)北辰飛行隊 対潜
(2)昭和20年5月1日
(3)広島
(4)
(5)昭和20年8月1日、新潟
 
(1)関東軍第一航空写真隊、洋第9316
(2)昭和18年3月8日
(3)奉天
(4)
(5)昭和20年8月15日、終戦
 
(1)第一写真作業隊、師第34224
(2)昭和20年7月20日
(3)
(4)
(5)昭和20年8月15日、終戦
 
◆輸送飛行隊
 
(1)航空本部(航空総監部)飛行班 輸送
(2)昭和14年5月
(3)立川
(4)
(5)昭和20年11月9日、所沢
 
(1)陸軍航空輸送部 輸送、師第34201
(2)昭和16年9月
(3)東京
(4)
(5)昭和20年9月4日、東京他
 
(1)陸軍航空輸送部 第一飛行隊 輸送、輝第4333
(2)昭和19年1月17日
(3)宇都宮
(4)
(5)
 
(1)陸軍航空輸送部 第二飛行隊 輸送、威第4334
(2)昭和19年1月17日
(3)太田
(4)
(5)
 
(1)陸軍航空輸送部 第三飛行隊 輸送
(2)昭和19年1月17日
(3)所沢
(4)
(5)
 
(1)陸軍航空輸送部 第四飛行隊 輸送、第4336
(2)昭和19年1月31日
(3)各務原
(4)
(5)昭和20年8月15日、浜松
 
(1)陸軍航空輸送部 第五飛行隊 輸送、第4337
(2)昭和19年1月31日
(3)小牧
(4)
(5)昭和20年8月15日、小牧
 
(1)陸軍航空輸送部 第六飛行隊 輸送、第4338
(2)昭和19年1月31日
(3)大阪
(4)
(5)昭和20年8月15日、八日市
 
(1)陸軍航空輸送部 第七飛行隊 輸送
(2)昭和19年1月17日
(3)マニラ
(4)
(5)
 
(1)陸軍航空輸送部 第八飛行隊 輸送
(2)昭和19年1月17日
(3)マニラ
(4)
(5)
 
(1)陸軍航空輸送部 第九飛行隊 輸送
(2)昭和19年1月17日
(3)所沢
(4)
(5)
 
(1)陸軍航空輸送部 第十飛行隊 輸送
(2)昭和19年1月17日
(3)所沢
(4)
(5)
 
(1)特設第十三輸送飛行隊 輸送
(2)昭和16年10月3日
(3)
(4)
(5)
 
(1)特設第十五輸送飛行隊 輸送
(2)昭和16年10月3日
(3)
(4)
(5)
 
(1)南方航空輸送部 輸送、威第9326
(2)昭和17年9月15日
(3)シンガポール
(4)
(5)昭和20年8月15日、
 
(1)南方航空輸送部 第一輸送飛行隊 輸送、威第9326
(2)昭和19年11月30日
(3)シンガポール
(4)
(5)昭和20年8月7日
 
(1)南方航空輸送部 第二輸送飛行隊 輸送、信第1160
(2)昭和19年11月30日
(3)シンガポール
(4)
(5)昭和20年8月7日
 
(1)第一輸送飛行隊 輸送
(2)昭和16年7月16日
(3)満洲
(4)
(5)昭和20年8月15日、嘉義
 
(1)第二輸送飛行隊 輸送
(2)昭和16年7月16日
(3)満洲
(4)
(5)昭和20年9月2日、嘉義
 
(1)第三輸送飛行隊 輸送
(2)昭和16年7月16日
(3)満洲
(4)
(5)
 
(1)第七輸送飛行隊 輸送、師第9987
(2)昭和16年6月30日
(3)八日市
(4)
(5)昭和20年8月15日、各務原(主力)
 
(1)第八輸送飛行隊 輸送、師第18904
(2)昭和19年6月20日
(3)筑波
(4)
(5)昭和20年8月15日、立川
 
(1)第十一輸送飛行中隊 輸送、師第6611
(2)昭和16年6月30日
(3)新京
(4)
(5)昭和16年6月30日、ビルマ
 
(1)第十二輸送飛行中隊 輸送、師第9350
(2)昭和16年7月7日
(3)八日市
(4)
(5)昭和18年6月30日、昭南
 
(1)第十三輸送飛行中隊 輸送、師第18905
(2)昭和19年6月20日
(3)筑波
(4)
(5)昭和19年11月2日、岐阜
 
(1)第十四輸送飛行中隊 輸送、師第18906
(2)昭和19年6月
(3)西筑波
(4)
(5)昭和20年9月2日、坂戸
 
(1)第十五輸送飛行中隊 輸送、師第18907
(2)昭和19年8月20日
(3)唐瀬原
(4)
(5)昭和20年8月15日、松戸
 
(1)第百一輸送飛行中隊 輸送
(2)
(3)
(4)
(5)
 
(1)独立第二十輸送飛行中隊 輸送
(2)
(3)
(4)
(5)
 
(1)関東軍輸送飛行隊 輸送、羽第4335
(2)昭和20年8月9日
(3)新京
(4)
(5)昭和20年8月15日、新京
 
(1)第十四軍飛行隊
(2)昭和17年1月5日
(3)?東外
(4)
(5)昭和17年4月2日
 
(1)誠補充飛行隊、誠第19122
(2)昭和20年7月7日
(3)台湾
(4)
(5)昭和20年9月2日、台湾
  
◆教育・錬成飛行隊
 
(1)第百一教育飛行連隊 戦闘、東部第104
(2)昭和16年9月30日
(3)原ノ町
(4)
(5)昭和19年3月31日
 
(1)第百二教育飛行連隊 重爆、北部第74
(2)昭和17年4月31日
(3)八戸
(4)
(5)昭和19年2月25日
 
(1)第百三教育飛行連隊 偵察、中部第115
(2)昭和17年5月3日
(3)加古川
(4)
(5)昭和19年3月31日
 
(1)第百四教育飛行連隊 軽爆、中部第94
(2)昭和17年4月31日
(3)八日市
(4)
(5)昭和19年2月25日
 
(1)第百五教育飛行連隊 遠爆、中部第113
(2)昭和16年4月30日
(3)浜松
(4)
(5)昭和19年3月31日
 
(1)第百六教育飛行連隊 戦闘、西部第108
(2)昭和19年9月30日
(3)菊池
(4)
(5)昭和19年3月31日
 
(1)第百七教育飛行連隊 挺進、西部第110
(2)昭和16年9月30日
(3)菊池
(4)
(5)昭和19年2月25日
 
(1)第百八教育飛行連隊 戦闘、台湾第37
(2)昭和17年4月22日
(3)?東
(4)
(5)昭和19年1月15日
 
(1)第百九教育飛行連隊 重爆、台湾第38
(2)昭和17年4月22日
(3)嘉義
(4)
(5)昭和19年2月25日
 
(1)第百十教育飛行連隊 司偵、中部第133
(2)昭和17年8月31日
(3)岐阜
(4)
(5)昭和19年2月25日
 
(1)第百十一教育飛行連隊 戦闘、朝鮮第100
(2)昭和18年3月5日
(3)仙台
(4)
(5)昭和19年2月29日
 
(1)第百十二教育飛行連隊 戦闘、台湾第100
(2)昭和18年3月5日
(3)恒春
(4)
(5)昭和19年3月15日
 
(1)第百十三教育飛行連隊 軽爆、朝鮮第101
(2)昭和17年8月31日
(3)平壌
(4)
(5)昭和19年3月31日
 
(1)第百十四教育飛行連隊 戦闘、隼第15301
(2)昭和18年8月31日
(3)加古川
(4)
(5)昭和19年3月7日
 
(1)第百十五教育飛行連隊 司偵、隼第15302
(2)昭和18年8月31日
(3)各務原
(4)
(5)昭和19年3月31日
 
(1)第百十六教育飛行連隊 重爆、昭第1106
(2)昭和18年8月31日
(3)浜松
(4)
(5)昭和19年3月31日
 
(1)第百十七教育飛行連隊 戦闘、昭第11067
(2)昭和18年8月31日
(3)小月
(4)
(5)昭和19年3月31日
 
(1)第百十八教育飛行連隊 戦闘、隼第15305
(2)昭和17年8月31日
(3)南京
(4)
(5)昭和19年3月31日
 
(1)第一練習飛行隊、治第18995
(2)昭和19年8月22日
(3)熊谷飛行学校、児玉分教場
(4)
(5)終戦
 
(1)第二練習飛行隊、昭第18996
(2)昭和19年10月30日
(3)マレー分散地(クラン、クアンタン、アロルスター、クアラカンサル、ポートセッテンハム)
(4)
(5)昭和20年9月2日
 
(1)第三練習飛行隊、昭第18997
(2)昭和20年3月31日
(3)仙台
(4)
(5)昭和20年5月15日

(1)第五練習飛行隊 特攻訓練、羽第16675
(2)昭和19年12月15日
(3)綏中
(4)
(5)昭和20年8月20日
 
(1)第六練習飛行隊、紺第540
(2)昭和20年2月20日
(3)熊谷
(4)
(5)昭和20年8月29日熊谷、八雲に於て復員
 
(1)第七練習飛行隊、空第541
(2)昭和20年2月20日
(3)京都府久世郡御牧
(4)
(5)昭和20年9月3日御牧飛行場にて復員
 
(1)第八練習飛行隊 空第542
(2)昭和20年2月20日
(3)大刀洗
(4)
(5)昭和20年9月3日
 
(1)第九練習飛行隊 宙第543
(2)昭和20年2月20日
(3)熊谷
(4)
(5)昭和20年8月25日
 
(1)第一教育飛行隊 戦闘、空第230
(2)昭和19年3月31日
(3)加古川
(4)
(5)昭和20年8月15日
 
(1)第二教育飛行隊 重爆、昭第15314
(2)昭和19年3月31日
(3)リンガエン
(4)
(5)終戦レンバン島収容昭和21年5月17日同島出発5月29日名古屋港上陸、復員
 
(1)第三教育飛行隊 軍偵、昭第15315
(2)昭和19年3月31日
(3)リパ
(4)
(5)昭和20年9月2日
 
(1)第四教育飛行隊 軽爆、紺第531
(2)昭和19年2月25日
(3)八日市
(4)
(5)昭和20年8月15日
 
(1)第五教育飛行隊 重爆、中部第113
(2)昭和19年3月31日
(3)浜松第105教育飛行連隊を改称
(4)
(5)昭和20年8月15日
 
(1)第六教育飛行隊 戦闘、台湾第36
(2)昭和19年3月31日
(3)台中
(4)
(5)昭和19年12月25日
 
(1)第七教育飛行隊 挺進、朝鮮第110
(2)昭和19年2月25日
(3)朝鮮咸興
(4)
(5)昭和19年12月25日
 
(1)第八教育飛行隊 戦闘、誠第532
(2)昭和19年1月15日
(3)台湾?東
(4)
(5)昭和20年7月6日
 
(1)第九教育飛行隊 重爆、台湾第38
(2)昭和19年2月25日
(3)嘉義
(4)
(5)昭和19年12月31日
 
(1)第十教育飛行隊 偵察、空第533
(2)昭和19年2月29日
(3)岐阜
(4)
(5)昭和20年8月15日
 
(1)第十一教育飛行隊 戦闘、宙第534
(2)昭和19年2月29日
(3)連浦
(4)
(5)昭和20年8月20日
 
(1)第十二教育飛行隊 戦闘、昭第15316
(2)昭和19年3月31日
(3)デルカルメン
(4)
(5)昭和20年9月2日
 
(1)第十三教育飛行隊 襲撃、朝鮮第161
(2)昭和19年3月31日
(3)平壌
(4)
(5)昭和20年1月15日
 
(1)第十四教育飛行隊 戦闘、隼第15301
(2)昭和19年3月7日
(3)南苑
(4)
(5)昭和20年8月15日
 
(1)第十五教育飛行隊 偵察、隼第15302
(2)昭和19年3月31日
(3)済南
(4)
(5)昭和19年12月31日
 
(1)第十六教育飛行隊 重爆、昭第11066
(2)昭和19年3月31日
(3)ジャワ島カリジャチ
(4)
(5)昭和20年8月15日
 
(1)第十七教育飛行隊 戦闘、昭第11067
(2)昭和19年3月31日
(3)ジャワ島バンドン
(4)
(5)昭和20年8月15日
 
(1)第十八教育飛行隊 戦闘、隼第15305
(2)昭和19年3月31日
(3)南京
(4)
(5)昭和20年8月15日
 
(1)第十九教育飛行隊 戦闘、宙第533
(2)昭和19年3月31日
(3)朝鮮会寧
(4)
(5)昭和20年8月15日
 
(1)第二十教育飛行隊 戦闘、台湾第42
(2)昭和19年3月31日
(3)台湾花連港
(4)
(5)昭和19年12月31日
 
(1)第二十一教育飛行隊 戦闘、台湾第43
(2)昭和19年3月31日
(3)台湾佳冬
(4)
(5)昭和19年12月31日
 
(1)第二十二教育飛行隊 戦闘、台湾第44
(2)昭和19年3月31日
(3)台湾潮州
(4)
(5)昭和19年11月
 
(1)第二十三教育飛行隊 軽爆、羽第15353
(2)昭和19年3月1日
(3)朝鮮宜徳
(4)
(5)横道河子に於て昭和20年9月2日停戦
 
(1)第二十四教育飛行隊 重爆、羽第15354
(2)昭和19年3月3日
(3)加古川
(4)
(5)昭和20年9月8日
 
(1)第二十五教育飛行隊 戦闘、羽第16615
(2)昭和19年3月31日
(3)遼陽
(4)
(5)昭和19年12月31日
 
(1)第二十六教育飛行隊 戦闘、羽第16616
(2)昭和19年3月10日
(3)満洲龍江省白城子
(4)
(5)昭和20年8月15日
 
(1)第二十七教育飛行隊 戦闘、羽第16617
(2)昭和19年3月25日
(3)満洲錦州省興城
(4)
(5)昭和19年12月15日
 
(1)第二十八教育飛行隊 戦闘、隼第17303
(2)昭和19年3月31日
(3)河北省石家荘石門
(4)
(5)昭和20年8月15日
 
(1)第二十九教育飛行隊 戦闘、隼第17304
(2)昭和19年3月7日
(3)河北省唐山
(4)
(5)昭和19年7月2日
 
(1)第三十教育飛行隊 襲撃、宙第536
(2)昭和19年2月25日
(3)岐阜
(4)
(5)昭和20年8月15日
 
(1)第三十一教育飛行隊 戦闘、威第10610
(2)昭和19年3月31日
(3)ルソン島デルカルメン
(4)
(5)昭和20年1月31日
 
(1)第三十二教育飛行隊 戦闘、富第15355
(2)昭和19年2月25日
(3)加古川
(4)
(5)昭和20年1月31日
 
(1)第三十三教育飛行隊 戦闘、威第15356
(2)昭和19年2月15日
(3)台湾?東
(4)
(5)昭和20年1月31日
 
(1)第三十四教育飛行隊 戦闘、昭第11068
(2)昭和19年3月31日
(3)ジャワ島バンドン
(4)
(5)昭和20年8月15日
 
(1)第三十五教育飛行隊 戦闘、岡第11069
(2)昭和19年3月31日
(3)シンガポール、臨時編成
(4)
(5)昭和20年8月15日
 
(1)第三十六教育飛行隊 戦闘、昭第15357
(2)昭和19年2月29日
(3)朝鮮連浦
(4)
(5)昭和20年2月28日
 
(1)第三十七教育飛行隊 戦闘、治第15358
(2)昭和19年2月25日
(3)台湾?東
(4)
(5)昭和20年8月15日
 
(1)第三十八教育飛行隊 挺進、昭第11099
(2)昭和19年2月29日
(3)比島タルラック
(4)
(5)昭和20年2月25日
 
(1)第三十九教育飛行隊 戦闘、紺第537
(2)昭和19年7月31日
(3)千葉県横芝
(4)
(5)昭和20年8月15日
 
(1)第四十教育飛行隊 戦闘、空第538
(2)昭和19年4月8日
(3)連浦
(4)
(5)昭和20年9月3日
 
(1)第四十一教育飛行隊 重爆、宙第539
(2)昭和19年4月29日
(3)浜松
(4)
(5)昭和20年8月15日
 
(1)第四十二教育飛行隊 司偵、羽第16642
(2)昭和19年7月31日
(3)満洲チチハル
(4)
(5)昭和20年8月15日
 
(1)第四十三教育飛行隊 戦闘、威第10618
(2)昭和19年6月7日
(3)タルラック
(4)
(5)昭和20年1月31日
 
(1)第四十四教育飛行隊 戦闘、岡第11081
(2)昭和19年5月25日
(3)シンガポール
(4)
(5)昭和20年8月15日
 
(1)第四十五教育飛行隊 司偵、岡第11082
(2)昭和19年7月31日
(3)マレー、スンゲイバタニ
(4)
(5)昭和20年8月15日
 
(1)第四十六教育飛行隊 偵察、昭第11083
(2)昭和19年5月31日
(3)マレー、ケチル
(4)
(5)昭和20年1月31日
 
(1)第一錬成飛行隊 戦闘、紺第520
(2)昭和19年7月31日
(3)相模
(4)
(5)昭和20年8月24日
 
(1)第二錬成飛行隊 戦闘、宙第521
(2)昭和19年7月22日
(3)京城
(4)
(5)昭和20年9月14日
 
(1)第三錬成飛行隊 戦闘、誠第522
(2)昭和19年4月28日
(3)滋賀県八日市
(4)
(5)昭和20年7月19日
 
(1)第四錬成飛行隊 戦闘、羽第16634
(2)昭和19年5月30日
(3)新京
(4)
(5)?
 
(1)第五錬成飛行隊 戦闘、隼第16635
(2)昭和19年5月31日
(3)浜江省孫家
(4)
(5)昭和20年8月15日
 
(1)第六錬成飛行隊 司偵、空第523
(2)昭和19年7月31日
(3)兵庫県三木
(4)
(5)終戦。昭和20年9月3日復員
 
(1)第七錬成飛行隊 司偵、昭第18432
(2)昭和19年6月20日
(3)?東
(4)
(5)昭和20年9月2日
 
(1)第八錬成飛行隊 戦闘、昭第18433
(2)昭和19年5月31日
(3)会寧
(4)
(5)昭和20年9月2日
 
(1)第九錬成飛行隊 戦闘、富第11080
(2)昭和19年4月30日
(3)ビルマ、メイクテイラ
(4)
(5)昭和20年9月2日
 
(1)第十錬成飛行隊 戦闘、空第524
(2)昭和19年11月30日
(3)京都府由良
(4)
(5)終戦、昭和20年9月3日復員
 
(1)第十一錬成飛行隊 戦闘、空第525
(2)昭和19年11月30日
(3)目達原
(4)
(5)終戦。昭和20年8月28日復員
 
(1)第十二錬成飛行隊 戦闘、宙第526
(2)昭和19年9月15日
(3)京城金浦
(4)
(5)昭和20年8月15日
 
(1)第十三錬成飛行隊 戦闘、羽第16663
(2)昭和19年9月15日
(3)満洲公主嶺
(4)
(5)昭和20年8月15日
 
(1)第十四錬成飛行隊 戦闘、羽第16664
(2)昭和19年8月20日
(3)満洲龍江省衛門屯
(4)
(5)昭和19年8月20日
 
(1)第十五錬成飛行隊 司偵、昭第11092
(2)昭和19年11月30日
(3)マレークアラルンプール
(4)
(5)昭和20年6月30日
 
(1)第十六錬成飛行隊、富第11095
(2)昭和19年7月25日
(3)シンガポール
(4)
(5)昭和19年11月復帰
 
(1)第十七錬成飛行隊 戦闘、昭第11093
(2)昭和19年10月3日
(3)シンガポール
(4)
(5)昭和20年9月5日
 
(1)第十八錬成飛行隊 戦闘、昭第11094
(2)昭和19年10月30日
(3)ジャワ島バンドン
(4)
(5)昭和20年8月1日
 
(1)第十九錬成飛行隊 戦闘、隼第17327
(2)昭和19年10月7日
(3)河北省南苑
(4)
(5)昭和20年8月15日
 
(1)第二十二錬成飛行隊 戦闘、羽第16664
(2)昭和19年8月20日
(3)龍江省衛門屯
(4)
(5)昭和20年8月15日
 
(1)第二十三錬成飛行隊 襲撃、宙第527
(2)昭和20年1月31日
(3)平壌
(4)
(5)昭和20年8月15日
 
(1)第二十四錬成飛行隊 重爆、空第528
(2)昭和19年12月31日
(3)浜松
(4)
(5)終戦昭和20年8月29日復員
 
(1)第二十五錬成飛行隊 重爆、宙第529
(2)昭和19年12月27日
(3)咸鏡南道宜徳
(4)
(5)昭和20年8月15日
 
(1)第二十六錬成飛行隊 戦闘、富第11097
(2)昭和20年2月28日
(3)ジャワ島マラン
(4)
(5)昭和20年8月15日
 
(1)第二十七錬成飛行隊 襲撃、昭第11098
(2)昭和20年2月28日
(3)マライケダー州ケチル
(4)
(5)昭和20年8月15日
 
(1)第二十八錬成飛行隊 重爆、昭第11099
(2)昭和20年2月25日
(3)マレーイポイ
(4)
(5)昭和20年8月15日
 
(1)第一野戦補充飛行隊、司第9915
(2)昭和16年11月30日
(3)浜松
(4)
(5)昭和20年8月15日
 
(1)第一飛行教育隊、中部第92
(2)昭和12年12月10日
(3)各務原
(4)
(5)昭和13年7月5日
 
(1)第二飛行教育隊
(2)昭和12年12月10日
(3)平壌の飛行第6連隊にて本部及び2個中隊編成
(4)
(5)昭和13年7月5日
 
(1)第三飛行教育隊、西部第99・空第571
(2)昭和12年12月10日
(3)台湾嘉義
(4)
(5)昭和13年7月5日
 
(1)第四飛行教育隊、東部第102・紺第572
(2)昭和13年7月1日
(3)立川
(4)
(5)昭和13年7月5日
 
(1)第五飛行教育隊、空第573
(2)昭和13年7月1日
(3)大刀洗
(4)
(5)昭和13年7月5日
 
(1)第七飛行教育隊、中部第98・空第576
(2)昭和12年12月10日
(3)満洲公主嶺
(4)
(5)昭和13年7月5日
 
(1)第八飛行教育隊、空第539・中部第77
(2)昭和12年12月10日
(3)満洲牡丹江省海浪。第八飛行団隷下
(4)
(5)昭和13年7月5日
 
(1)第九飛行教育隊、空第577
(2)昭和12年12月10日
(3)龍江省チチハル。第9飛行団隷下
(4)
(5)昭和13年7月5日
 
(1)第十二飛行教育隊、紺第578
(2)昭和12年12月10日
(3)龍江省ハルピン
(4)
(5)昭和13年7月5日
 
(1)第一航空教育隊、中部第92・宙第570
(2)昭和13年7月5日
(3)各務原
(4)
(5)終戦昭和20年10月15日仁川港出発10月20日佐世保上陸10月23日復員
 
(1)第二航空教育隊
(2)昭和13年7月5日
(3)平壌
(4)
(5)昭和18年9月17日
 
(1)第三航空教育隊、空第571・西部第99
(2)昭和13年7月5日
(3)嘉義。第3飛行教育隊を第3航空教育隊と改称
(4)
(5)昭和20年7月18日
 
(1)第四航空教育隊、紺第572・東部第102
(2)昭和13年7月1日
(3)立川
(4)
(5)終戦昭和20年8月29日復員
 
(1)第五航空教育隊、空第573
(2)昭和13年7月5日
(3)大刀洗。第5飛行教育隊を第5航空教育隊と改称
(4)
(5)終戦昭和20年8月30日戦後処理業務に従事し復員
 
(1)第六航空教育隊、空第574・北部第79
(2)昭和15年9月1日
(3)福島県原ノ町
(4)
(5)昭和20年7月18日
 
(1)第七航空教育隊、空第576・中部第98
(2)昭和13年7月5日
(3)
(4)
(5)昭和20年7月18日
 
(1)第八航空教育隊、空第539・中部第77
(2)昭和13年7月5日
(3)牡丹江省海浪。第8飛行教育隊を第8航空教育隊と改称。
(4)
(5)昭和20年9月5日
 
(1)第九航空教育隊、空第577
(2)昭和13年7月5日
(3)満洲龍江省チチハル
(4)
(5)終戦業務を終え復員
 
(1)第十航空教育隊、誠第39
(2)昭和18年10月1日
(3)大刀洗
(4)
(5)昭和20年6月8日
 
(1)第十一航空教育隊、東部第103
(2)昭和16年3月1日
(3)茨城県水戸
(4)
(5)昭和18年9月17日
 
(1)第十二航空教育隊、紺第578・東部第111
(2)昭和13年7月5日
(3)満洲ハルピン。第12飛行教育隊を第12航空教育隊と改称
(4)
(5)終戦、復員
 
(1)第十三航空教育隊、師第579
(2)昭和19年1月10日
(3)新潟県高田南本町
(4)
(5)終戦昭和20年9月1日復員
 
(1)第十四航空教育隊、宙第580・西部第104
(2)熊本県菊池
(3)昭和19年1月24日
(4)
(5)終戦昭和20年10月23日釜山港出発山口県仙崎港上陸、復員
 
(1)第一航空軍教育隊、帥第581
(2)昭和17年12月3日
(3)岐阜
(4)
(5)終戦復員
 
(1)第二航空第一教育隊、羽第16613
(2)昭和18年8月15日
(3)吉林省公主嶺
(4)
(5)昭和18年8月15日
 
(1)南方軍第一航空教育隊、昭第11056
(2)昭和18年8月25日
(3)シンガポール
(4)
(5)昭和20年8月15日
 
(1)支那派遣軍第一航空教育隊、隼第1622
(2)昭和18年9月30日
(3)南京
(4)
(5)昭和20年8月15日
 
(1)岐阜第一航空教育隊、空第563
(2)昭和20年2月25日
(3)岐阜
(4)
(5)昭和20年8月15日
 
(1)岐阜第二航空教育隊、空第564
(2)昭和20年2月25日
(3)岐阜
(4)
(5)昭和20年8月15日
 
(1)奈良陸軍航空教育隊、空第565
(2)昭和20年2月25日
(3)奈良
(4)
(5)昭和20年8月15日
 
(1)立川陸軍航空教育隊、紺第561
(2)昭和20年2月25日
(3)立川
(4)
(5)昭和20年8月15日
 
(1)所沢陸軍航空教育隊、紺第560
(2)昭和20年2月25日
(3)立川
(4)
(5)昭和20年8月15日
 
(1)八戸陸軍航空教育隊、紺第562
(2)昭和20年2月25日
(3)青森県八戸
(4)
(5)昭和20年8月15日
 
◆陸軍直轄飛行隊・研究飛行隊等
 
(1)陸軍航空本部、風第29651
(2)大正14年5月1日
(3)東京?町区隼町
(4)
(5)昭和20年11月30日、東京
 
(1)陸軍航空総監部
(2)昭和13年12月10日
(3)東京
(4)
(5)昭和20年4月18日
 
(1)陸軍航空技術研究所
(2)昭和10年8月1日
(3)立川
(4)
(5)昭和17年10月15日
 
(1)第一陸軍航空技術研究所、風第29661
(2)昭和17年10月15日
(3)立川
(4)
(5)昭和20年8月27日、本部福生・出張所甲府
 
(1)第二陸軍航空技術研究所、風第29662
(2)昭和17年10月15日
(3)立川
(4)
(5)昭和20年8月27日、本部立川・出張所高山・岡谷
 
(1)第三陸軍航空技術研究所、風第29663
(2)昭和17年10月15日
(3)立川
(4)
(5)昭和20年8月27日、本部福生・出張所阿字ヶ浦
 
(1)第四陸軍航空技術研究所、風第29664
(2)昭和17年10月15日
(3)立川
(4)
(5)昭和20年8月27日、八王子
 
(1)第五陸軍航空技術研究所、風第29665
(2)昭和17年10月15日
(3)立川
(4)
(5)昭和20年8月27日、本部立川・出張所屋代
 
(1)第六陸軍航空技術研究所、風第29666
(2)昭和17年10月15日
(3)立川
(4)
(5)昭和20年8月27日、立川
 
(1)第七陸軍航空技術研究所、風第29667
(2)昭和17年10月15日
(3)立川
(4)
(5)昭和20年8月27日、本部青梅・出張所甲府・秩父
 
(1)第八陸軍航空技術研究所、風第29668
(2)昭和17年10月15日
(3)立川
(4)
(5)昭和20年8月27日、本部立川・出張所新潟
 
(1)陸軍飛行実験部
(2)昭和14年12月1日
(3)立川
(4)
(5)昭和17年10月15日
 
(1)陸軍航空審査部、風第29653
(2)昭和17年10月15日
(3)福生
(4)
(5)昭和20年8月29日、本部福生・出張所京都・水戸・松本
 
(1)陸軍航空工廠
(2)昭和15年4月1日
(3)東京府北多摩郡昭和村(現昭島市)
(4)
(5)昭和20年11月14日、昭和村
 
(1)陸軍航空適性検査部
(2)昭和19年1月31日
(3)立川
(4)
(5)昭和20年9月15日、調布
 
(1)多摩陸軍技術研究所、風第29669
(2)昭和18年6月15日
(3)立川
(4)
(5)昭和20年8月27日、本部国立・出張所青梅・久我山・藤岡・上諏訪・関西
 
(1)南方軍航空技術部、司第9312
(2)昭和16年11月25日
(3)立川
(4)
(5)昭和20年8月15日
 
(1)大本営航空通信保安長官部
(2)昭和17年9月1日
(3)東京(市ヶ谷)
(4)
(5)昭和20年9月13日、東京
 
(1)大本営野戦航空兵器長官部
(2)昭和12年11月20日
(3)東京
(4)
(5)昭和20年9月13日、東京
 
(1)大本営陸軍航空通信隊
(2)昭和17年8月
(3)東京
(4)
(5)20年3月

◆飛行学校 

(1)陸軍航空士官学校
(2)昭和13年12月10日
(3)豊岡
(4)
(5)昭和20年9月1日、豊岡
 
(1)仙台陸軍飛行学校
(2)昭和18年10月9日
(3)仙台
(4)
(5)昭和20年8月27日、仙台
 
(1)東京陸軍航空学校
(2)昭和12年12月1日
(3)熊谷
(4)
(5)昭和18年4月1日
 
(1)東京陸軍少年飛行兵学校
(2)昭和18年4月1日
(3)村山町
(4)
(5)昭和20年8月27日、村山町
 
(1)大津陸軍少年飛行兵学校
(2)昭和18年4月1日
(3)大津
(4)
(5)昭和20年8月27日、大津
 
(1)大分陸軍少年飛行兵学校
(2)昭和19年5月15日
(3)大分
(4)
(5)昭和20年8月27日、大分
 
(1)陸軍航空学校
(2)大正8年4月15日
(3)所沢
(4)
(5)大正13年5月16日
 
(1)所沢陸軍飛行学校
(2)大正13年5月16日
(3)所沢
(4)
(5)昭和12年10月1日
 
(1)熊谷陸軍飛行学校
(2)昭和10年12月1日
(3)熊谷
(4)
(5)昭和20年2月
 
(1)宇都宮陸軍飛行学校
(2)昭和15年10月1日
(3)宇都宮
(4)
(5)昭和19年10月
 
(1)大刀洗陸軍飛行学校
(2)昭和15年10月1日
(3)大刀洗
(4)
(5)昭和20年2月
 
(1)岐阜陸軍飛行学校
(2)昭和15年8月1日
(3)岐阜
(4)
(5)昭和18年4月1日
 
(1)下志津陸軍飛行学校
(2)大正13年5月17日
(3)千葉県千葉郡都村
(4)
(5)昭和19年6月20日
 
(1)明野陸軍飛行学校
(2)大正13年5月17日
(3)三重県度会郡明野村
(4)
(5)昭和19年6月20日
 
(1)明野陸軍飛行学校分校
(2)昭和18年8月1日
(3)茨城県那珂郡前渡村
(4)
(5)昭和19年6月20日
 
(1)浜松陸軍飛行学校
(2)昭和8年8月1日
(3)静岡県浜名郡神久呂村
(4)
(5)昭和19年6月20日
 
(1)白城子陸軍飛行学校
(2)昭和14年7月1日
(3)所沢
(4)
(5)昭和19年6月20日
 
(1)鉾田陸軍飛行学校
(2)昭和15年12月1日
(3)鉾田
(4)
(5)昭和19年6月20日
 
(1)水戸陸軍飛行学校
(2)昭和13年7月1日
(3)茨城県那珂郡前渡村
(4)
(5)昭和18年10月9日
 
(1)陸軍航空技術学校
(2)昭和10年8月1日
(3)所沢
(4)
(5)昭和19年10月10日
 
(1)陸軍航空整備学校
(2)昭和13年7月1日
(3)所沢
(4)
(5)昭和18年8月1日
 
(1)立川陸軍航空整備学校
(2)昭和18年8月1日
(3)福生
(4)
(5)昭和19年6月30日
 
(1)所沢陸軍航空整備学校
(2)昭和18年8月1日
(3)所沢
(4)
(5)昭和20年2月25日
 
(1)岐阜陸軍航空整備学校
(2)昭和18年4月1日
(3)岐阜
(4)
(5)昭和20年2月25日
 
(1)陸軍航空通信学校
(2)昭和15年8月1日
(3)水戸
(4)
(5)昭和20年5月3日
 
◆教導飛行師団

(1)教導航空軍司令部、靖第19500
(2)昭和19年8月8日
(3)東京
(4)
(5)昭和19年12月26日
 
(1)下志津教導飛行師団、下志津陸軍飛行部隊
(2)昭和19年6月20日
(3)下志津
(4)
(5)昭和20年7月10日復帰
 
(1)明野教導飛行師団、明野陸軍飛行部隊
(2)昭和19年6月20日
(3)明野
(4)
(5)昭和20年7月10日復帰
 
(1)浜松教導飛行師団、浜松陸軍飛行部隊
(2)昭和19年6月20日
(3)浜松
(4)
(5)昭和20年7月10日復帰
 
(1)宇都宮教導飛行師団、宇都宮陸軍飛行部隊
(2)昭和19年6月20日
(3)宇都宮
(4)
(5)昭和20年7月10日復帰
 
(1)鉾田教導飛行師団、鉾田陸軍飛行部隊
(2)昭和19年6月20日
(3)鉾田
(4)
(5)昭和20年7月10日復帰
 
(1)常陸教導飛行師団、常陸陸軍飛行部隊
(2)昭和19年6月20日
(3)前渡
(4)
(5)昭和20年7月10日復帰
 
(1)教導飛行師団、風第1000
(2)昭和20年7月16日
(3)宇都宮
(4)
(5)昭和20年8月29日、宇都宮
 
◆教導飛行隊
 
(1)第一教導飛行隊、明野飛行隊
(2)昭和20年7月16日
(3)明野
(4)
(5)昭和20年8月29日、明野
 
(1)第二教導飛行隊、常陸飛行隊
(2)昭和20年7月16日
(3)常陸
(4)
(5)昭和20年8月29日、新田
 
(1)第三教導飛行隊、鉾田飛行隊
(2)昭和20年7月16日
(3)鉾田
(4)
(5)昭和20年8月29日、那須
 
(1)第四教導飛行隊、浜松飛行隊
(2)昭和20年7月16日
(3)浜松
(4)
(5)昭和20年8月29日、富山・三国
 
(1)第五教導飛行隊、下志津飛行隊
(2)昭和20年7月24日
(3)
(4)
(5)昭和20年8月29日、壬生
 
(1)第六教導飛行隊、宇都宮飛行隊
(2)昭和20年7月16日
(3)宇都宮
(4)
(5)昭和20年8月29日、宇都宮
 
(1)立川教導航空整備師団、立川陸軍航空整備部隊
(2)昭和19年6月30日
(3)福生
(4)
(5)昭和20年8月29日、福生
 
(1)水戸教導航空通信師団、水戸陸軍航空通信部隊
(2)昭和20年5月3日
(3)水戸
(4)
(5)昭和20年8月29日、水戸
 
(1)加古川教導航空通信団、加古川陸軍航空通信部
(2)昭和20年5月3日
(3)加古川
(4)
(5)昭和20年8月29日、加古川
 
(1)三方原教導飛行団、三方原陸軍飛行部隊
(2)昭和19年6月30日
(3)浜松
(4)
(5)昭和20年8月28日、浜松
 
(1)陸軍電波兵器練習部、東部第92
(2)昭和19年2月
(3)立川(多摩研)
(4)
(5)昭和20年8月29日、小平
 
◆航空廠
 
(1)陸軍航空本廠
(2)昭和10年8月1日
(3)東京
(4)
(5)昭和17年10月15日
 
(1)立川陸軍航空支廠
(2)昭和10年8月1日
(3)立川
(4)
(5)昭和17年10月15日
 
(1)大刀洗陸軍航空支廠
(2)昭和13年7月1日
(3)大刀洗
(4)
(5)昭和17年10月15日
 
(1)平壌陸軍航空支廠
(2)昭和11年4月1日
(3)平壌
(4)
(5)昭和17年10月15日
 
(1)?東陸軍航空支廠
(2)昭和12年4月1日
(3)?東
(4)
(5)昭和17年10月15日
 
(1)満洲陸軍航空支廠
(2)昭和16年6月1日
(3)奉天
(4)
(5)昭和17年10月15日
 
(1)帯広陸軍航空支廠
(2)昭和16年6月1日
(3)帯広
(4)
(5)昭和17年5月31日
 
(1)宇都宮陸軍航空支廠
(2)昭和16年6月1日
(3)宇都宮
(4)
(5)昭和17年10月15日
 
(1)大阪陸軍航空支廠
(2)昭和16年8月1日
(3)大阪
(4)
(5)昭和17年10月15日
 
(1)東京陸軍航空補給廠、師第34208
(2)昭和19年10月20日
(3)立川
(4)
(5)昭和20年11月14日、立川
 
(1)大阪陸軍航空補給廠、師第34209
(2)昭和19年10月20日
(3)大阪
(4)
(5)昭和20年11月14日、大阪
 
(1)関東軍航空廠、羽第16680
(2)昭和20年5月1日
(3)奉天
(4)
(5)昭和20年8月15日
 
(1)立川陸軍航空廠、師第34202
(2)昭和17年10月15日
(3)立川
(4)
(5)昭和20年11月4日、立川・分廠の所在地柏・成増・相模・出張所の所在地熊谷
 
(1)各務原陸軍航空廠、師第34203
(2)昭和17年10月15日
(3)各務原
(4)
(5)昭和20年11月14日、各務原・分廠の所在地浜松・亀山・小牧
 
(1)大阪陸軍航空廠、師第34204
(2)昭和17年10月15日
(3)大阪
(4)
(5)昭和20年11月14日、大阪・分廠の所在地八日市・伊丹・加古川・出張所の所在地京都・明石
 
(1)大刀洗陸軍航空廠、師第34205
(2)昭和17年10月15日
(3)大刀洗
(4)
(5)昭和20年11月14日、大刀洗・分廠の所在地芦屋・下関・菊地・新田原・防府・福岡・知覧
 
(1)宇都宮陸軍航空廠、師第34206
(2)昭和17年10月15日
(3)宇都宮
(4)
(5)昭和20年11月14日、宇都宮・分廠の所在地八戸・出張所の所在地大田・新田・太田南
 
(1)平壌陸軍航空廠、師第34207
(2)昭和17年10月15日
(3)平壌
(4)
(5)昭和20年8月15日、平壌・分廠の所在地咸興・郡山・京城
 
(1)?東陸軍航空廠
(2)昭和17年10月15日
(3)?東
(4)
(5)昭和19年10月25日
 
(1)満洲陸軍航空廠
(2)昭和17年10月15日
(3)奉天
(4)
(5)昭和20年5月1日
 
(1)マニラ陸軍航空廠、威第15311
(2)昭和18年8月15日
(3)マニラ
(4)
(5)昭和20年3月現地復帰
 
(1)奉天野戦航空廠
(2)昭和13年7月
(3)奉天
(4)
(5)昭和15年4月1日
 
(1)第七野戦航空廠
(2)昭和15年4月1日
(3)威興
(4)
(5)昭和16年7月31日
 
(1)第八野戦航空廠
(2)昭和13年9月1日
(3)奉天
(4)
(5)昭和16年7月31日
 
(1)第九野戦航空廠
(2)昭和13年9月1日
(3)楡樹屯
(4)
(5)昭和16年7月31日
 
(1)第十野戦航空廠
(2)昭和15年8月1日
(3)佳木斯
(4)
(5)昭和16年7月31日
 
(1)第十一野戦航空廠
(2)昭和13年9月1日
(3)四平
(4)
(5)昭和16年7月31日
 
(1)第十二野戦航空廠
(2)昭和13年9月1日
(3)ハルピン
(4)
(5)昭和16年7月31日
 
(1)第十五野戦航空廠
(2)昭和13年5月15日
(3)北京
(4)
(5)昭和19年2月
 
(1)第十六野戦航空廠
(2)昭和16年4月12日
(3)広東
(4)
(5)昭和17年5月30日
 
(1)第五野戦航空修理廠、誠第19023
(2)昭和19年10月25日
(3)?東
(4)
(5)昭和21年3~21・12復員
 
(1)第六野戦航空修理廠、鏑第19250
(2)昭和17年5月31日
(3)帯広
(4)
(5)昭和20年8月15日
 
(1)第七野戦航空修理廠、靖第8316
(2)昭和16年7月31日
(3)咸興
(4)
(5)昭和20年10月7日、仙崎
 
(1)第八野戦航空修理廠、隼第8331
(2)昭和16年7月31日
(3)蘭崗
(4)
(5)昭和21年2月24日、佐世保

2017年11月 3日 (金)

航空母艦搭載機ステッカー




  

試験販売を開始しました。
一枚一枚、ピンセットとデザインナイフを駆使した巧が
作製しております。

2017年8月11日 (金)

零式艦上戦闘機ベクターデータ販売

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販売用のベクターデータの見本一覧です。
第一弾は「ゼロ戦」です。
 
自由に着色・加工・編集が可能なデータです。
 
価格ですが下記の通りで提供させて頂きます。
商用は全ライセンス付与です。
 
商用 ¥49,800-
▲プロモーション・宣伝・広告等での利用
▲グッズ製作(Tシャツ・マグカップ等) 
▲まとめサイト(キュレーションサイト)での利用 

▲アフィリエイトが付随するサービスでの利用 
  
非商用 ¥2,980-
〇個人ブログ・ウェブサイト素材としての利用

〇動画素材(youtube、ニコニコ動画など個人非商用アカウントでの利用)
〇発行部数1,000部以下の同人誌・趣味の印刷物

〇SNSのアイコン等
〇教育・講演、プレゼンテーション等

 
非商用購入
https://www.amazon.co.jp/dp/B074TVT9DC
 
商用購入
https://www.amazon.co.jp/dp/B074TWFVGP
 
こちらに続きまして
彗星や紫電改、震電、陸軍機、戦艦などもラインナップに追加していきます。
よろしくお願い致します。

2017年7月27日 (木)

ベクターデータの販売

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イラストデータのライセンス販売を始めます。
 
今までは主に自分でグッズを製造していましたが
一度に数十万~百万単位でかかるので
マイナー機などはグッズ化にも相当な費用と覚悟が要りました。
大量のダンボールに囲まれて
袋詰めや在庫管理などで日が暮れてしまいます。
 
そこでベクターデータ(編集可能)のライセンスを販売して
自由に使って頂こうと考えています。 
 
見本を少しアップしました。販売するのは
今まで描いた飛行機と艦船全てです。
零戦は全ての形式が揃っています。
編集可能なので、カスタマイズやカラーリング、
自由なデザインが出来ます。
 
取材で全国各地に行くのでお金がかかります。
クラウドファンディングが流行ってますが、
どうしても身動きが不自由になりますし、責任の所在が曖昧となります。
今のところ、必要なお金は自分で調達するがモットーです。

2016年12月15日 (木)

「探してます」→「知ってます」情報共有掲示板

この頁は調査をされている方の情報共有掲示板と致します。
各種調査にお使いください。検索エンジンから多くの方が訪れますので
何か手がかりがつかめるかもしれません。
 
書込みむ際のお願い
・身内の方で戦没者の調べ方についてはコチラをご覧ください。
・無記名・匿名はご遠慮ください。
・他の閲覧者に配慮が頂けない書込みは予告なく削除します。
・連絡先交換等は自由ですが、個人間のやりとりは当サイトで責任は負いかねます。

2016年10月 8日 (土)

零戦(ゼロ戦)フリー素材・画像・アイコン

零戦(ゼロ戦)フリー素材・画像・アイコン

零戦(ゼロ戦)21型

零戦(ゼロ戦)52型

零戦(ゼロ戦)21型

零戦(ゼロ戦52型)

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零戦をはじめとした陸海軍大戦機のフリー素材アイコンを作りました。
PNG形式でダウンロードできます。
画像一段目、ゼロ戦21型上、52型上
二段目、21型横、52型横
 
マーキングを省き素の状態ですので、
各自機番号等ペイントツールで入れてお使いになれます。
 
機番号やマーキングを入れてほしい方は
こちらでお入れすることもできますので、ご連絡ください。
 
21型のほかに、11型、22型、32型、52型甲、52型乙、52型丙、53型丙
62型、64型(試製54型丙)、零式練戦、二式水戦など、
全ての型式をご用意しておりますのでご希望の方は
別途お問い合わせください。三菱製、中島製がお選び頂けます。

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シルエット1、2段目、ゼロ戦52型。
3段目、晴嵐、疾風、流星
4段目、飛燕、震電となっています。
 
非営利に限り、無料でご利用になれます。
商用の場合は有料となりますがアウトラインデータも
提供できますのでお問い合わせください。 
 

必ずこちらに従ってご利用ください。
画像使用についての決まり

以下写真画像

零戦二一型(瑞鶴/岩本徹三機)

2016年7月 1日 (金)

零戦画像集その1

ゼロ戦画像まとめです。
 
記事で使用しました零戦の画像・写真・イラストの一覧を作りました。
優美な姿を多くの方にご覧になって
ゼロ戦を好きになって頂ければと
思います。
 
私自身が作成した他、ライセンスを得る等、お借りしている画像もありますので
利用希望の方は必ずお問い合わせください。
 
逐次追加していきます。

52型と21型

零戦21型岩本徹三機

零戦52型

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零戦21型レプリカ(テキサン)

二式水戦

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零戦型式一覧零戦21型と52型の違い

零戦21型「赤城」進藤三郎大尉機

零戦64型(54型丙)

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零戦52型

零戦52型

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零戦52型

零戦52型(261空)

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零戦中島三菱塗装の違い

▲南溟の桜(当サイト)

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四式戦「疾風」

艦上爆撃機「彗星」一二型

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百式司令部偵察機三型

雷電(青木機)

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紫電改(菅野直機)

飛燕(244戦隊)

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2015年6月19日 (金)

彗星艦上爆撃機の型式一覧

彗星/艦上爆撃機/型式一覧

 
◆艦上爆撃機「彗星」

彗星は愛知航空機が開発し帝国海軍で運用された
艦上爆撃機。九九式
艦上爆撃機の後継機として開発が進められ昭和17年に
正式採用された。
大幅に向上した速度と機体剛性により、完全格納式の爆弾倉に
収められた
500キロ爆弾を急降下爆撃により敵艦船へ叩きつけ戦果を上げた。

 
ダイムラーベンツ社製でメッサーシュミットBf109にも装備された
水冷エンジン、DB-601のライセンス
生産型である日本海軍名「アツタ」
エンジンを採用したが、日本海軍は水冷式に不慣れであったため
稼働率の低下を招いたという説がある。
 
◆DB-601エンジンと陸海軍の確執
機体は日本機離れしたシャープな印象があるが、
同じエンジンを用いたのは
「彗星」のほかに陸軍の三式戦「飛燕」、海軍の「晴嵐」と三機種のみで
あり、
極僅か。さらに陸海軍の確執により、「飛燕」と「彗星」のエンジンは互換性
がなく
同じエンジンであるが互いに融通し合うことができなかった。そのため
純国産三菱製の金星エンジンに
換装され、終戦まで運用された。四三型は
ロケット推進機なども備えた。

 
彗星はその機動性と敵戦闘機との空戦にも耐えうる機体性能だったことから
敵陣に突入し挺身偵察を行う強行偵察機としても運用された二式艦偵ほか、
戊型は斜め機銃を
備え、夜間戦闘機として本土防空戦におけるB-29撃墜
にも活躍した。


◆航空戦艦「伊勢」搭載カタパルト射出型  

二二型は航空戦艦「伊勢」に搭載されカタパルト射出された。
この運用方法では艦隊への帰艦は100%不可能であり、建前上は
陸上基地への着陸を前提としたものであったが、空戦では未帰還機が必ず
出るため航空母艦への着艦が求められた。
 
型式一覧 
 
------------------------------ 
 
◆彗星一一型(二式艦上偵察機)/D4Y1-C

全幅11.493m 全長10.22m 全高3.675m 主翼面積23.6㎡ 自重2,565kg
全備重量3,650kg 過荷重量4,361kg 翼面荷重155kg/㎡
エンジン/アツタ21型 離昇1,200馬力 燃料1,083L 増槽330L2個
最高速度/546km/h at 4,750m 巡航速度/426km/h at 3000m
上昇力/5000m/9分28秒 航続距離(増槽装備)/3,339km
武装 7.7mm機銃×2 7.7mm旋回銃
 
敵陣強行偵察機
九九式艦上爆撃機の後継機として十三試艦上爆撃機が正式採用された際、通常艦爆と
艦爆としての機動力を活かし戦闘機の追従からも脱出が可能な強行偵察機モデルの
二派が製造された。一一型は爆弾倉を撤去し、敵陣偵察用のカメラを備えた
モデルで彗星一一型、或いは二式艦偵と称する。唯一の尾輪引き込み式。121空
(雉部隊)では二式艦偵と呼ばず、単に「彗星」と呼称していたようである。
  
------------------------------
 
◆彗星一二型/D4Y2・彗星一二戊型/D4Y2-S
全幅11.493m 全長10.22m 全高3.675m主翼面積23.6㎡ 自重2,635kg
全備重量2,835kg 過荷重量4,353kg 翼面荷重163kg/㎡
エンジン/アツタ31型 離昇1,400馬力 燃料1,540L 増槽330L2個
最高速度/580km/h at 5,250m 巡航速度/426km/h at 2000m
上昇力/5000m/7分40秒 航続距離(増槽装備第二過荷)/3,426km
武装 7.7mm機銃×2 7.7mm旋回銃 500kg爆弾×1
 
艦上爆撃機「彗星」
旧来の九九艦爆から大きく進化し、爆弾倉(ウエポンベイ)の扉を開閉式として
500キロ爆弾を搭載が可能となった。機体剛性と三枚のダイブブレーキを活かした
急降下爆撃により、敵艦に500キロ爆弾を叩きつける。本格的に運用されたのは
主にマリアナ沖海戦であるが、敵機動部隊とは四倍以上の兵力差があり、敢闘するも
母艦に帰還できたの機体は僅かであった。一二戊型は後席に斜め銃を取り付け
夜間戦闘機として本土防空戦に活躍した。
 
------------------------------
 
◆彗星二二型/D4Y2改(航空戦艦「伊勢」搭載機)
全幅11.493m 全長10.22m 全高3.675m主翼面積23.6㎡ 自重2,635kg
全備重量2,835kg 過荷重量4,353kg 翼面荷重163kg/㎡
エンジン/アツタ31型 離昇1,400馬力 燃料1,540L 増槽330L2個
最高速度/580km/h at 5,250m 巡航速度/426km/h at 2000m
上昇力/5000m/7分40秒 航続距離(増槽装備第二過荷)/3,426km
武装 7.7mm機銃×2 7.7mm旋回銃 500kg爆弾×1
カタパルト射出機
 
彗星一一型・一二型をベースにカタパルト射出を可能に改造したモデル。
航空戦艦「伊勢」のカタパルトから射出発艦した。艦隊への帰艦は不可能で
カタパルト射出出撃後は友軍地上基地への着陸が建前上前提とされた。
実際には多くが未帰還となったほか、未帰還機の増加で搭載機に空きが出た
航空母艦への着艦が求められた。 
 
------------------------------
   
◆彗星三三型/D4Y3・彗星三三戊型/D4Y3-S
全幅11.50m 全長10.22m 全高3.74m 主翼面積23.6㎡ 自重2,501kg
全備重量3,751kg 過荷重量4,657kg 翼面荷重159kg/㎡
エンジン/三菱「金星62型」離昇1,560馬力 燃料1,040L 増槽310L2個
最高速度/574km/h at 6,050m 巡航速度/370km/h at 3000m
上昇力/6000m/9分18秒 航続距離(第一過荷)/2,911km
武装 7.7mm機銃×2 7.9mm旋回銃 500kg爆弾×1 または翼下250kg爆弾×2
 
不慣れなアツタ液冷エンジンの運用により稼働率低下が相次ぎ、空冷の三菱製金星に
換装したモデル。機体の構造変更も施したが、エンジンを取り替えたといえば解り
易い。幻の最終型零戦六四型/五四型丙と同型の金星エンジンという説がある。
戊型は一二型と同じく、斜め銃を取り付けた夜間戦闘機型。
宇垣纏中将、中津留大尉が8月15日に特攻隊として大分飛行場から
出撃したモデルとして有名。
 
-------------------------------
 
◆彗星四三型/D4Y4
全幅11.50m 全長10.22m 全高3.74m 主翼面積23.6㎡ 自重2,635kg
全備重量4,542kg 過荷重量4,733kg 翼面荷重193kg/㎡
エンジン/三菱「金星62型」 離昇1,560馬力 燃料1,345L
最高速度/552km/h at 2,600m 巡航速度/333km/h at 3000m
上昇力/5000m/9分22秒 航続距離(突撃第一)1,654km 
(突撃第二)1,550km(空輸第二)2,593km 武装 800kg爆弾×1
 
三三型の機体腹下を大きく切り抜いて、800キロ爆弾を吊り下げ可能に
改造したモデル。戦局を凌ぐ為、急造されたのと、航空母艦が壊滅したため、
艦上での運用はされず、着艦フックは撤去された、名目上は艦上爆撃機であるが
陸爆、或いは事実上の特攻機でもあった。重くなった機体を増速させる為
ロケット推進機を6本取り付けた。ロケット装備機は実戦投入前に終戦となる。
 
------------------------------
  
彗星という飛行機について思う事
パラオ・ペリリュー等に残骸として残る、或いは墜落した彗星の機体を
実際に何機か見てきたから思い入れが強い。アルミ合金の機体外板は
そのままに、
計器や艤装部品も実に洗練された作りになっている。
彗星は
間違いなく傑作機であるのだが、本格的に運用された昭和19年
前半は日米の兵力差が最も顕著になってきた頃であり、
海軍はそれでも
まだ成功法で連合軍と戦っていた。確かに彗星は傑作機であるが
5倍も10倍も敵との差があれば生還は望めない。それでも敵艦を
強襲し
撃沈していたのである。その功を、散って行った多くの搭乗員を
忘れてはならないと感じる。
 
彗星は新鋭急降下爆撃機としての威力を十分に発揮することなく
大戦末期には特攻に多く用いられた。
平成26年の夏に中津留達雄大尉のお嬢さんが
宇垣中将特攻の件でテレビに出演していたので驚いた。
8月15日に戦死したことを悔やんでいるのは勿論だと思ったが、それでも
「父を誇りに思います」とコメントしていたのが印象的だった。
 
宇垣の取った行いを私兵特攻だと批判する者も多いが、人物評価は
別として、
武人であったことは確かだ。宇垣は『戦藻録』で
「皆死ね、皆死ね、俺も死ぬ」と書き残している。
終戦後、ここまで復興した日本を当時、誰が想像しただろう。
現在の物差しで特攻を、当時の出来事を良いとか悪いとか
後出しジャンケンのように批判することなど本来ならできないはずだと思う。
  
彗星画像

彗星と航空戦艦日向

彗星/艦上爆撃機

▼平原政雄大尉の二番機だった小松幸男飛曹長と国次萬吉上飛曹ペアの彗星

1/48彗星 小松幸男飛曹長機 ファインモールド

1/48彗星 小松幸男飛曹長機 ファインモールド1/48彗星 小松幸男飛曹長機 ファインモールド

1/48彗星 小松幸男飛曹長機 ファインモールド

  
彗星ファイスタオル試験販売中

Photo

 
◆関連記事
 
パラオの彗星/墜落現場へ~永元俊幸大尉
航空機に見る日本陸海軍の確執
朝日村に不時着した彗星
宇垣纏中将8月15日特攻出撃の跡地へ

------------------------------
 

◆◆◆

零戦雷電震電

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烈風(改)戦闘機紫電改

2015年6月10日 (水)

原田要さんの話(5)紫電改よりも零戦21型が一番だった

零戦二一型(瑞鶴/岩本徹三機)

 
篠原Q、原田さんは海軍のほとんどの飛行機にお乗りになっていますね

 
ええ、雷電や紫電改も乗ったし、みんな乗りました
大型の九六陸攻も乗っています。
 
Q、雷電や紫電改は如何でしたか
 
雷電だめ、紫電改もだめですよ。
ゼロ戦だって52型だの丙型だの、みんなダメですよ。
 
アメリカのB-29には届かない。向こうが1万メートルで
紫電改が後ろにつくとロケットを発動しちゃう。サーっと置いていかれる。
それで最後にB-29に対処するにはこれしかない(秋水の模型を手に取る)
この秋水はロケット機ですから1万メートル迄3分。1万4千メートル迄でも
4分程度で上がっちゃうんです。
それで30ミリを両翼に備えています。
これなら絶対に大丈夫、
B-29なんかへっちゃらだというんです。
 
そのかわりパイロットの養成が大変で、その頃になると、
アメリカの
グラマンが攻撃に来ていたから内地では訓練できないから、
霞ヶ浦から
千歳へ配属になって、パイロットの養成をしなさいと
言われました。
 
Q、プロペラの飛行機で一番良かったのはなんですか
 
プロペラの飛行機で一番良かったと思えるのは私は最終的に
零戦の21型。佐伯航空隊で初めて乗りました。
 
それまで九六式艦上戦闘機だったのですが
この九六戦も堀越さんのグループが開発した戦闘機ですけれど
九六戦は行動半径が短い、攻撃兵器が貧弱でした。
 
Q、ゼロ戦(21型)を佐伯航空隊で初めてご覧になって如何でしたか
 
初めて見た零戦は格好良かったですね。私がこれに乗れるのかと。
九六戦と違って、ゼロ戦は随分大きいという印象を受けました。そして
脚が入ってしまう。骨組みが強化してありますし
翼内から20ミリという強力な
弾が撃てる。加えてプロペラの圏内からは
九六戦と同様に7ミリ7も撃てる。
300リッターの増槽タンクの他に
翼内、胴体に燃料をたくさん積める。10時間
以上飛んで大型機を
掩護できるんです。エンジンはダブル式になっている。
これが出来てね、すごい飛行機だなあ、と思っていたんです。
 
Q、ゼロ戦と九六戦を乗り比べて違いましたか
 
ええ、だから操縦が重くて大変だろうと思って、初めてゼロ戦に乗ってみた。
そうしたら誠に軽い。九六戦より自由がきく。素晴らしい飛行機だなあ、と
思いました。九六戦と全然違う。
 
Q、21型が一番良かったのですね。
 
 
日本の零戦として一番長い間、戦ったのが21型だと思います。
守る、攻める、安心感、三拍子揃っていた。
初恋の飛行機ではないかな。
 
素晴らしい飛行機だなぁ。これがいわゆる一番
武士の気持ちに近い、そのまんま合う飛行機だと思いました。
 
私達はゼロ戦に乗っていれば「絶対に負けないんだ」という自信

持っていました。そして、そのゼロ戦に掩護される爆撃機や
攻撃機も
「ゼロ戦がついているなら大丈夫だ」という安心感がありました。
 
ただ、世界中からどんなに驚かれるような零戦でも最終的には悲劇になる。
アメリカの方もF4FがF6Fに、
どんどん新鋭機が開発される。飛行機だろうが
人間だろうが
最初の功績に甘んじていると大変な事になります。
 
ゼロ戦はその後、エンジンの馬力を上げたり翼を短くしてみたり、排気管を
単排気管にしてみたりと、少しずつ良くはなっているんだけど
21型が一番良かったですね。
 
だから最終的に私が飛龍(※1)から飛び上がったのも21型ですよ。
飛龍の飛行甲板で、最後にひとつ寄せ集めの飛行機ができたんです。
私は飛行長のすぐそばで助手をしていたからすぐお前上がれって言われて
ああ、今頃こんな時に、よく21型あったなと。結局は信頼があったから
最後に寄せ集めの飛行機が21型で出来たんじゃないかなと。
恵まれています。
 
つづく
  
※1飛鷹かも?
 

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21型と52型の違いについてはこちら
 

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原田要さんの話(1)撃墜した敵パイロットの顔が忘れられない
原田要さんの話(2)南京攻略とパネー号事件
原田要さんの話(3)真珠湾攻撃と亡き戦友の思い出
原田要さんの話(4)赤城、加賀、翔鶴、瑞鶴、飛龍への着艦
原田要さんの話(5)零戦、紫電改、様々な飛行機に乗ってみて
原田要さんの話(6)関行男大尉の教官を務める
原田要さんの話(7)元ゼロ戦パイロットとして平和の大切さを訴え続ける

--------  

海軍パイロットデータベース
あ行 赤松貞明板谷茂指宿正信岩城芳雄岩本徹三江馬友一尾崎伸也
か行 黒川昌輝
さ行 重松康弘新郷英城杉田庄一

た行 玉井浅一田中民穂粒針靖弘富安俊助
な行 中島又雄長嶺公元永元俊幸
は行 羽生十一郎
ま行
や行 山下小四郎輪島由雄
 
陸軍パイロットデータベース
篠原弘道

◆◆◆

零戦雷電震電

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烈風(改)戦闘機紫電改


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2015年1月31日 (土)

零戦の型式雑学 21型から52型、64型まで

零戦(ゼロ戦)型式一覧 21型から52型までの違い

零戦(ゼロ戦)型式一覧 21型から52型までの違い

零戦21型と52型の違い

零式艦上戦闘機(ゼロ戦/零戦)零式艦上戦闘機(通称ゼロ戦)は
三菱重工が設計開発を行った日本海軍の主力戦闘機である。
和14年3月初飛行、翌15年、正式採用を待たず中国(支那)
戦線で初陣。
16年12月
の真珠湾攻撃以来、昭和20年8月の終戦までに
三菱重工、中島飛行機の両企業により
総計1万機以上が生産された。
 
日本国民の総力を注いだこの戦闘機は、西はセイロ
ン島、東はギルバート、
ハワイ諸島に至るまで地球のほとんど半分近くを戦域とし
連合軍と対峙、
あるいは国土防衛に尽くした。
 
昨今、永遠の0や、堀越二郎を元に描いたアニメ映画『風立ちぬ』
で注目を浴びる機会も多くなった。
この頁ではそれぞれの違いと特徴、時代背景なども追って紹介する。

 
零戦(ゼロ戦)フリー素材・画像・アイコンはこちらのリンクから

零戦二一型(瑞鶴/岩本徹三機)

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零式艦上戦闘機(ゼロ戦)

型式について

零戦の形式は一桁目を機体形状、二桁目がエンジン形式を表す。
甲、乙、丙等が付随する場合は火器類の違いを示す。
原則、形式番号が同じであれば同様と考えて良いが
例えば、52型と32型であれば、機体のデザインは異なる(翼の形)が
エンジンは同じものが搭載されている。マフラーの形状が違うので
まったく同じとは言えない。このほか戦時下において細かな変更点は
限りなくあるだろうし、諸説存在する。勉強中故、お許し願いたいが
同時に零戦好きの方が集う場所でありたいと願うので、意見などあれば
どうぞ遠慮なく書いてください。
 
書き込む前に必ずこちらをご覧ください。

零戦は同時期に製造された飛行機でも、個体差が激しく
クセの強い飛行機などは舵をいっぱいに切って離陸したりと
難があった。

  

専用機(愛機はあったのか)

専用機(愛機)はあったのか
書物や証言を照合するとおおむね以下のとおりである。
 
通常であれば、搭乗員はその出撃の都度、割り当てられた機体に
搭乗する。従って、愛機は存在しない。緊急発進では尚更であった。
ただし、指揮官(分隊長クラス)になると機体に帯(イラスト参照)
が入り専用機が与えられる。
 
人によっては「彼の機体はスペシャル仕様だった」などと
証言されるがこれは、特に改造を施したということではなくて、
指揮官クラスがべらぼうにコンディションの良い機体を占有していた、
という意味合いではなかろうか。
 
専用機に関して例外もある。
航空母艦の搭載機(艦載機)では士官、下士官ともに
専用機であった説が有力である。機体それぞれにクセが
あるので実に細かい着艦技術が要求されるため。
  
一方で陸上、艦載機ともに、整備員は担当する機体が必ず
決まっており、それぞれの担当機を責任を持って整備した。
零戦の尾翼等に〇〇一整曹などと整備責任者の名が記されて
いるのはこのため。
 
なお、同様の機体整備責任者を陸軍では「機付長」と称した。
機付長の制度は現在の航空自衛隊に継承されている。 
 

型式一覧

型式一覧図(十二試艦戦・二一型から五二型、六四型まで)
 

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十二試艦上戦闘機【十二試艦戦諸表】A6M1
  
ゼロ戦のプロトタイプである十二試艦上戦闘機。昭和14年4月に
初号機が初飛行。三菱重工の堀越博士
をリーダーとする開発チームが
九六艦戦の後継機とし
て開発に尽力した。二号機までは三菱製瑞星一三型
ンジンを搭載したため、最高速度は488km/h と海軍の要求
届かなかったが、その他性能は概ね良好であった。
 

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零戦11型 
【零戦一一型諸表】A6M2-a
  
中島飛行機供給の栄エンジン搭載により大幅な馬力向上を実現した
一一型は正式採用を待たず、漢口
基地へ送られ、航続距離の短い九六
艦戦に代わり重
慶爆撃陸攻隊の掩護に就いた。昭和15年の初陣以
支那事変における空戦では一機の損害もなく終
始無傷であった。
機体は第十二航空隊山下小四郎機。

  

零戦二一型/21型

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零戦21型 【零戦二一型諸表】A6M2-b
発動機/栄一二型 離昇出力/940馬力 上昇力/6000m/7分27秒
最高速度/533km/h 巡航速度/300km/h 航続距離/2,530km
自重/1,754kg 全備重量/2,410kg 燃料搭載量/525+330L
全幅/12.00m 全長/9.060m 全高/3.530m
主翼面積/22.438㎡ 翼面荷重/107kg/㎡
兵装/胴体7.7mm機銃×2 翼内20mm機銃×2 爆弾60kg×2
生産機数/約3,500機
 
◆零戦二一型(21型)は、零戦初の量産モデル。空母搭載を前提とした
翼端折
畳み構造を追加したほか、 着艦フックを装着。昭和16年12月、
真珠湾攻撃で実戦に参加。
昭和19年初めまでに三菱740機、中島が
2,821機を
生産し、大戦初期において海軍機動部隊の要となった。
参考画像は昭和17年、空母瑞鶴所属、岩本徹三機。
  

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二式水上戦闘機(二式水戦)

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二式水上戦闘機 【二式水戦諸表】A6M2-N
発動機/栄一二型 離昇出力/940馬力 上昇力/3000m/3分57秒
最高速度/439km/h 巡航速度/---km/h 航続距離/926km
自重/1,921kg 全備重量/2,460kg 燃料搭載量/---+---L
全幅/12.50m 全長/10.248m 全高/4.305m
主翼面積/22.438㎡ 翼面荷重/109kg/㎡
兵装/胴体7.7mm機銃×2 翼内20mm機銃×2 爆弾60kg×2
正式採用/昭和17年7月 生産機数/377機
 
◆二式水上戦闘機は零戦二一型にフロートを装着した水上戦闘機。
川西航空機が開発中の十五試水上戦闘機「強風」が遅れていたため
水上飛行機の技術が豊富であった中島飛行機が急きょ、傑作機
零戦を
ベースに開発と生産を行った。開発陣必死の努力により僅か11ヶ月という
短期間で実用化に至り、戦線に就いた。主脚、尾輪(タイヤ)を撤去し
フロートを取り付けたほか、防水加工や水上飛行機としての安定を得るため
垂直尾翼の形状等を変更した。
重量と抵抗の増加に伴い運動性と
最高速度は低下(96.3km/h)したが
水上戦闘機としては申し分ない性能で
大戦初期に
おける島嶼攻略、防衛(アリューシャン、ソロモン、
中部太平洋戦線等)で活躍した。
 

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K

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零式練習戦闘機一一型 【零式練戦諸表】A6M2-K
  
二一型をベースに複座化したゼロ戦の練習機。
主な変更点は翼内機銃を撤去し風防を延長。前部の訓
練生席は解放型
となった。尾輪を固定化し、前部引
き込み脚カバーの撤去、射撃用ターゲット
の吹き流
しを翼下に備えた。零式練習戦闘機一一型と称して航空廠、
日立航空機で製造された。

 

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ゼロ戦(零戦)32型/三二型

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零戦32型 【零戦三二型諸表】A6M3
発動機/栄二一型 離昇出力/1,130馬力 上昇力/6000m/7分
最高速度/544km/h 巡航速度/---km/h 航続距離/2,134km
自重/1,807kg 全備重量/2,535kg 燃料搭載量/470+320L
全幅/11.00m 全長/9.121m 全高/3.570m
主翼面積/21.54㎡ 翼面荷重/118kg/㎡
兵装/胴体7.7mm機銃×2 翼内20mm機銃×2 爆弾60kg×2
正式採用/昭和17年4月 生産機数/343機
 
◆零戦三二型(32型)は
エンジンを栄二一型(二速過給器 / スーパーチャージャー付き)に換装。
離昇1130馬力に向上し運動性能と最高速度を得た。翼端を50cmカット
した
唯一の角型デザインで343機を三菱でのみ生
産した。航続距離は低下。
昭和17~18年、主にソロモン諸島の戦線で
活躍。
画像は昭和18年/台南空所属機。
  

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ゼロ戦(零戦)22型/二二型

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零戦22型 【零戦二二型諸表】A6M3
発動機/栄二一型 離昇出力/1,130馬力 上昇力/6000m/7分19秒
最高速度/540km/h 巡航速度/---km/h 航続距離/2,560km
自重/1,863kg 全備重量/2,679kg 燃料搭載量/---+---L
全幅/12.00m 全長/9.121m 全高/3.570m
主翼面積/21.530㎡ 翼面荷重/119kg/㎡
兵装/胴体7.7mm機銃×2 翼内20mm機銃×2 爆弾60kg×2
正式採用/昭和18年1月 生産機数/560機
 
◆零戦二二型(22型)二二型は三二型の弱点を補うべく、翼端を二一型と
同様
丸型へ戻し折り畳み構造を復活させたモデルで航続距離と運動性能を
取り戻した。武装を強化した
二二型甲を含めると、昭和17年末より翌18年
8月までに560機を三菱でのみ生産。のち五二型へ移行する。
 

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ゼロ戦(零戦)52型/五二型

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零戦52型 【零戦五二型諸表】A6M5
発動機/栄二一型 離昇出力/1,130馬力 上昇力/6000m/7分
最高速度/564km/h 巡航速度/330km/h 航続距離/2,560km
自重/1,876kg 全備重量/2,733kg 燃料搭載量/570+320L
全幅/11.00m 全長/9.121m 全高/3.570m
主翼面積/21.300㎡ 翼面荷重/128kg/㎡
兵装/胴体7.7mm機銃×2 翼内20mm機銃×2 爆弾60kg×2
正式採用/昭和18年8月 生産機数/約6,000機
 
◆零戦五二型(52型)
ゼロ戦を象徴する最も一般的なモデル。翼折畳み
構造を撤廃し翼端を50cmずつ
短縮。推力式
単排気管(マフラー)を採用し、馬力を向上した。昭和18年8月より
三菱、同年12月より中島が生産を開
始し終戦までおよそ6000機が生産された。
中部
太平洋戦線で活躍。参考画像は昭和19年3月、第261海軍航空隊所属機。
 
 

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ゼロ戦(零戦)52型甲/五二型甲

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零戦52型甲 【零戦五二型甲諸表】A6M5-a
発動機/栄二一型 離昇出力/1,130馬力 上昇力/6000m/7分
最高速度/559km/h 巡航速度/---km/h 航続距離/2,560km
自重/1,894kg 全備重量/2,743kg 燃料搭載量/570+300L
全幅/11.00m 全長/9.121m 全高/3.570m
主翼面積/21.300㎡ 翼面荷重/129kg/㎡
兵装/胴体7.7mm機銃×2 翼内20mm機銃×2 爆弾60kg×2
正式採用/昭和19年10月 生産機数/三菱約391機(中島不明)
 
◆五二型甲(52型こう)は、五二型の武装・装甲を強化したモデルの
ひとつで携行弾数を
増やしたほか、主翼装甲の厚さを0.2ミリ強化し
急降下制速度を740.8km/hに引き上げた。このほかに増槽を
木製化し形状も変更。容量は300リットルとなった。プロペラ・スピナーが
大型化され、機体重
量(自重)は18kg増加した。
 
 

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ゼロ戦(零戦)52型乙/五二型乙

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零戦52型乙 【零戦五二型乙諸表】A6M5-b
発動機/栄二一型 離昇出力/1,130馬力 上昇力/6000m/7分
最高速度/554km/h 巡航速度/---km/h 航続距離/2,560km
自重/1,921kg 全備重量/2,765kg 燃料搭載量/570+300L
全幅/11.00m 全長/9.121m 全高/3.570m
主翼面積/21.300㎡ 翼面荷重/129kg/㎡
兵装/胴体7.7mm機銃×2 翼内20mm機銃×2 爆弾60kg×2
正式採用/昭和19年10月 生産機数/三菱約400機(中島不明)
 
◆五二型乙(52型おつ)は五二型の武装、装甲強化モデル。五二型との違いは
右側胴体銃を7.7ミリから13.2ミリ
に換装したほか、両翼下に150リットル
増槽を
各一個ずつ搭載可能に改造した。後期生産機は座席後方の防弾を
強化し風防正面を防弾ガラスに変
更し、防御力を増加。昭和19年10月
正式採用され三菱で470機が生産された。


 

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ゼロ戦(零戦)52型丙/五二型丙

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零戦52型丙 【零戦五二型丙諸表】A6M5-c
発動機/栄二一型 離昇出力/1,130馬力 上昇力/6000m/7分
最高速度/544km/h 巡航速度/---km/h 航続距離/2,560km
自重/1,970kg 全備重量/2,955kg 燃料搭載量/570+300L
全幅/11.00m 全長/9.121m 全高/3.570m
主翼面積/21.300㎡ 翼面荷重/148kg/㎡
兵装/翼内20mm機銃×2 13.2mm×2 爆弾60kg×2、ロケット弾
正式採用/昭和19年10月 生産機数/三菱約470機(中島不明)
 
◆五二型丙(52型へい)は五二型甲・乙を踏襲しさらなる火力と装甲強化
を施したモデルで胴体左の7.7ミリ銃を廃止し両翼に13.2ミリ機銃を追加。
両翼下にレールを設け
ロケット弾(三式弾等)を搭載可とした。格闘性能は
犠牲となったが、燃料タンクの防弾化し主翼
と操縦席外側の装甲も強化して
防御力を高めた。
 
 

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ゼロ戦(零戦)53型丙/五三型丙

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零戦53型/53型丙 【零戦五三型丙諸表】A6M6-c
発動機/栄三一型 離昇出力/1,300馬力 上昇力/8000m/9分53秒
最高速度/540km/h 巡航速度/---km/h 航続距離/2,190km
自重/2,155kg 全備重量/3,145kg 燃料搭載量/500+300L
全幅/11.00m 全長/9.121m 全高/3.570m
主翼面積/21.300㎡ 翼面荷重/---kg/㎡
兵装/翼内13mm機銃×2 20mm機銃×2
爆弾60kg×2 30kg×4 ロケット弾
正式採用/昭和19年10月 生産中止
 
◆五三型丙または五三型(53型へい)は、五二丙に次ぐ改良型で、エンジンを
水メタノール噴射式の栄三一型に換装し、自動防漏式燃料タンクを施した。
期待したほどの性能向上が見込めなかったことから量産化は中止され、
まもなく六二型、五四型丙/六四型へ開発生産が移行されたモデルである。
仕様はいずれも予定値。
  

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ゼロ戦(零戦)63型、63型/六二型、六三型

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零戦62型/63型 【零戦六二型諸表】A6M7
発動機/栄三一型甲 離昇出力/1,130馬力 上昇力/6000m/7分58秒
最高速度/542km/h 巡航速度/---km/h 航続距離/2,190km
自重/2,155kg 全備重量/3,155kg 燃料搭載量/500+300L
全幅/11.00m 全長/9.121m 全高/3.570m
主翼面積/21.300㎡ 翼面荷重/141.0kg/㎡
兵装/胴体13mm機銃×1 翼内13.2mm機銃×2 20mm機銃×2
爆弾60kg×2 500kg×1 ロケット弾 
正式採用/昭和20年5月 生産機数/800機(推定)
 
◆六二型(62型)/六三型(63型)
ゼロ戦の最終型Ⅰ。五三型の胴体下に500kg爆弾
の懸吊架を追加した
爆撃戦闘機、爆戦と略称。跳弾爆撃、急降
下爆撃に対応し機体構造を強化した。
生産数は不
明だが、昭和20年4月頃より終戦まで 三菱、中島合わせて6
00~1,000機が生産されたと推定さ
れる。栄三一型を搭載した機体を
63型と称すが、殊に当該機種のエンジンは栄三一型や二一型もあり、
52型との明確な違いは不明瞭で諸説あり。
 

Photo_42

ゼロ戦(零戦)64型、54型丙/六四型、54型丙

Photo_44

零戦64型/五四型丙 【零戦六四型/五四丙型諸表】A6M8
発動機/金星六二型 離昇出力/1,560馬力 上昇力/6000m/6分50秒
最高速度/572km/h 巡航速度/370km/h 航続距離/-,---km
自重/2,150kg 全備重量/3,150kg 燃料搭載量/650+300L
全幅/11.00m 全長/9.237m 全高/3.570m
主翼面積/21.300㎡ 翼面荷重/148.0kg/㎡
兵装/翼内13.2mm機銃×2 20mm機銃×2
爆弾60kg×1 250kg×1 ロケット弾 
正式採用/昭和20年7月 生産機数/2機
 
◆六三型(63型)/五四型丙(54型へい)
ゼロ戦の最終型Ⅱ。三菱製、金星六二型エンジンを搭載し、離昇出力を
1,560馬力に向上させた。エンジンは彗星三三型と同様の見解あり、大型化に
伴い、プロペラ・スピナー、上部のエアインテーク等の形状が異なる。
火力、装甲を強化したほか爆撃戦闘機として、跳弾爆撃、急降下爆撃に対応し、
機体剛性を強化した。五四丙の量産型を六四型と称するが実戦に至らず終戦と
なった。画像は推定。
  

03_2

なぜゼロ戦と呼ぶのか
我が日本には暦が3つある。平成、西暦、そして皇紀である。
皇紀は神武天皇が即位した(日本が始まったとされる年)から
数えた年号で、本年2015年(平成27年)は皇紀2675年にあたる。
 
零戦が正式採用された昭和15年は、皇紀2600年ちょうどにあたり
その末尾をとって零式艦上戦闘機(れいしきかんじょうせんとうき)
通称零戦と呼ばれるようになった。海軍は皇紀の末尾を冠するのが
通例でほかに九六式艦上攻撃機、一式陸上攻撃機などがある。
 
ゼロは英語で敵性語であるから「れいせん」と呼ばなければならなかった
というのは俗説で、当時から海軍ではゼロ戦と呼んでいたし
(予科練の試験の答案用紙でもわかるように英語は必須であった)
一般にもゼロ戦と呼ばれていた。
   

04_2

搭乗員(パイロット)になるには
ゼロ戦搭乗員は例外なく文武両道であった。
搭乗員を志すための過程はいくつかあるが、いずれも厳しく
狭き門であった。いうまでもなく飛行機乗りは全て志願兵である。
 
過程1、指揮官
海軍兵学校で幹部としての教育課程を修了後、
航空を専修する。
東大の10倍難しいと言われる海軍兵学校を
受験し、二年間の教育期間を
経て少尉候補生となったのち
航空機を専修する。ただし、幹部と雖も敵性が
認められない場合は搭乗員にはなれない。
 
過程2、下士官(昭和15年まで)
海軍(海兵団)に志願入隊し、艦隊勤務などを経て下士官となり敵性ありと
認められた場合、操縦練習生(操練)の受験資格を得る。
 
過程3、予科練習生(昭和12年から)
満14歳以上20歳未満の若者に限っては予科練習生の制度が設けられた。
筆記試験問題(入試に使われた問題が予科練記念館に展示されている)
視力、体力測定をパスすると
晴れて入隊。3年間(のちに短縮)の教育・訓練
課程を経て搭乗員となる。
 
いずれの過程でも国語、数学、物理科学、英語などの成績が優秀で
体力も抜群でなければ試験突破は叶わなかった。このほか実戦を想定し
モールス信号の符号の暗記、航法、気象についても学ぶ。
試験に合格した後でも、訓練中不適格と判断された者は元隊に戻された。
 
また、初期の頃(操練時代)においては、最終試験で「手相」「骨相」が見られ
占いで「貴様は短命だ」と判断されると元隊に戻された。
 
操縦員・偵察員にわかれる
訓練課程では教官が敵性を見て操縦員・偵察員のいずれかに分けられる。
操縦員はパイロットであるが、偵察員は後席に座り、通信、見張り、航法
を担当し、操縦員に逐次伝達する。GPSなど無い時代。偵察員の仕事は
非常に重要な役割であった。パイロットのほうが偉いかというと
それは大きな誤解である。真珠湾攻撃に参加したある偵察員は
「操縦員は操縦に専念してればええ。偵察員はいろいろ仕事やるし
操縦員を叩いて飛ばすほうが大変や」と回想する。(個人の見解です)
 
それぞれの機種を専攻する
さらに戦闘機・艦爆・艦攻の専修別となる。
艦爆とは艦上爆撃機の略で、急降下爆撃を敢行する二人乗りの
飛行機である。度胸が求められる。
 
艦攻とは艦上攻撃機の略で3人乗りの雷撃機である。水面すれすれに飛行し、
敵艦の横腹に魚雷を叩きつけるのだが、
もっとも損耗(戦死)率が高い。
肝が据わったどっしりとした
性格かつ協調性が求められた。
 
零戦(戦闘機)は一人乗り。ぜんぶ一人でやる
戦闘機乗りは花形である。希望は一応出せるものの
希望叶わず艦爆や艦攻を命じられた者も多い。
戦闘機は一人乗りであるので、すべての任務を一人でこなさねばならない。
膝の上にバインダーに挟んだ紙を置き
コンパスと太陽の位置などを
見ながら、航法を計算しながら飛ぶから
大変だ。この間も敵の襲撃に備え、
見張りを厳とする必要があった。
 
自動車で高速道路を一時間走るのは何てことはないが、
一人乗りの戦闘機で空を一時間飛ぶことがいかに至難であったか、
その疲労も極めて著しい。
 
こうして艱難辛苦乗り越えて練習航空隊を卒業した者は
実戦航空隊へ配備され
一人前となる。
 

05_2

ゼロ戦は強かったのか
高校生の頃、世界史の授業で担当教師が
「米軍は不時着したゼロ戦を徹底的に調べ上げその優れた設計を真似して
F6Fヘルキャットという新鋭戦闘機を作った。それ以降、ゼロ戦の優位は失われた」
と教えてくれた。そのころは「ふんふん、そうなのか」と教師の教えを真剣に
聞いていたが後で調べてみると、この説はどうもインチキくさいことがわかった。
 
結論から
ゼロ戦は無敵だった。ただし、一対一の戦いならば。
 
支那戦線においては無敵で、ほとんど全ての敵機を撃墜した。
また、真珠湾攻撃以来、最初の一年ほどは
米英に対し圧倒的優勢で勝利を重ねた。
 
米英にいずれは負ける運命
一対一。これは我が国古来からのサムライの戦い方である。
 
敵の数が圧倒的に多いなら、いずれは損耗を続け、負ける。
開戦当初、日本の搭乗員は防御や退却を恥とした。
サムライとして潔く戦って散ろうというものである。
「生きて虜囚を辱めを受けず」という言葉もある。
 
一方で米英のパイトットは勝ち目がないと判断すると
命を守ることを第一に撤退し、次の戦いに備えた。
 
サムライであり続けた
「防弾板がついとったが、わしはあんなもの恥ずかしいと思って取っ払ってしまった」
「落下傘はどうせ使わんから、座席に敷いておった」
などと回想する元搭乗員も多い。
 
ここで「命を粗末にするから日本は戦争に負けたんだ」などと言うのは
おかしい。それは我々が戦後に後出しだから言えることで決して
現代の物差しで語ってはならない。当時とは価値観が全然違うのだ。
 
米英軍にしてみれば、日本は決して降参しない、勝ち目がないのに
最後の一人まで戦うという概念が理解できなかった。
 
ゼロ戦の弱点を突け
確かに米軍はアリューシャンに不時着したゼロ戦を鹵獲し徹底的に調べた。
(鹵獲=ろかく。敵の兵器などを戦利品として原則無傷で得る事)
ここまでは世界史の先生に教わった通り、事実であった。
鹵獲された機体は、古賀忠義一等飛行兵搭乗の零戦二一型で
昭和17年6月、ミッドウェー作戦の陽動として行われた
アリューシャン列島、ダッチハーバー空襲へ参加した古賀一等飛行兵は
対空砲火で被弾し、アクタン島への不時着を試みた。
 
古賀一等飛行兵は着陸時の衝撃で頭部を強打し戦死したが
機体は無傷に近い状態であった。一か月後、機体は米軍によって回収され、
徹底的な分析調査が行われた。そして僅か三ヶ月後の9月には
飛行可能な状態に修復し、テスト飛行まで行われた。
 
これによって、米軍はゼロ戦の弱点を徹底的に暴いた。
このとき、後のライバルとなるグラマンF6Fヘルキャットは既に
完成間際にありゼロ戦の設計思想が反映されることは無かったし
もとより、米軍の戦闘機設計思想は戦後まで一貫するもので
いずれもゼロ戦とは相反する。
 
ゼロ戦の弱点は剛性不足であった。スピードも出ない。
低速度域での巴戦では群を抜いた性能を誇ったが
高速度での戦闘には不向きで、遂に脆弱性を露呈した。
 
このため、米軍は急降下等を駆使し、ゼロ戦から逃れる術を
発見したほか、米軍機二機以上が一組となり、ゼロ戦の機動力の隙を突く
サッチ戦法により、無敵といわれた零戦を確実に仕留めていった。
日本機のパイロットは古来からの一騎打ちが未だ戦術の
主流であるのに対し、米軍は必ず二機以上の編隊で襲い掛かり
スピードを生かした一撃離脱戦法で、ゼロ戦に勝利した。
この戦法は大戦終結まで変わることなく、日本機の戦術はすでに
時代遅れとなる。
  
日本機の搭乗員は熟練者が多く、その腕をもって米軍と対峙し
開戦以来、圧倒的な勝利をものにしてきたが、このサムライの
伝統とも言える戦い方は、合理的といえるものではなく
到底米軍との兵力差は埋められるものではない。
戦争末期ともなれば熟練搭乗員は皆戦死し、補充された
飛行時間の僅かな飛行兵の戦いは満足といえるものでなかった。
  

日米で異なった戦闘機の設計思想 
先述の通り、日米では航空機の基本的設計思想が異なった。
米軍は飛行機は重いが頑丈で、小回りが利かない代わりに
物凄いスピードが出る。いくら、日本機が真っ向勝負しろと挑んでも
雲間から突如、襲い掛かってきて、一撃を加えたのち
消えてしまう。日本機は追い付けない。そんなに熟練した腕があろうとこれでは
勝負にならない。多くのゼロ戦パイロットがその旨、証言を戦後に残している。
 
本土防空戦で敢闘したあるゼロ戦搭乗員は
「映画で見るような空戦を想像しているだろうけど、ありえない。
敵さんは、上空から物凄い速さでいきなり襲ってきてこちらが
反撃する前に追い付けないスピードで逃げていくんだ。一瞬だよ。
戦いも何もあったもんじゃない」と回想する。

 
大戦後期、日本もようやくこの戦法に対応するよう
重戦闘機の開発を重視したが、時すでにおそく、終戦を迎えた。
多くのサムライが刃を抜いて奮戦したが、銃弾には勝てずほとんどが戦死した。
 
零戦のライバルたち

零戦とスピットファイア

零戦とP-51

Photo 
▲英空軍スピットファイア(左)と米陸軍P-51(右)
 

零戦とF4Uコルセア

零戦とP-38ライトニング

Photo_2 
▲米海軍F4Uコルセア戦闘爆撃機(左)と米陸軍P-38ライトニング戦闘機(右)
   

SBDドーントレス艦上爆撃機グラマンF6Fヘルキャット艦上戦闘機

SBDドーントレス艦上爆撃機

グラマンF6Fヘルキャット艦上戦闘機 
▲米海軍の名機、グラマンF6Fヘルキャット艦上戦闘機と
SBDドーントレス艦上爆撃機。F6Fはもっとも多くのゼロ戦を撃墜し、
ドーントレスは最も多くの日本艦船を撃沈したといわれる。 
 

06_2

高度1万メートルの戦い
大戦末期、ゼロ戦は高度1万メートルで爆撃に来る
B-29相手にも果敢に戦った。B-29は当時ボーイング社最新の技術で
気密されているから、搭乗員はTシャツ一枚でコーヒー飲みながら
ゆうゆうやってくる。 
 
一方で我が方の迎撃機は高高度においては酸素も薄く、極寒で
判断力は低下する。高い山に登ったことがある人なら幾ばくかでも
その気持ちがわかると思う。高度1万メートルまで上るのは
ゼロ戦では30分近くかかる。
 
時間がかかっても一万メートルまで上昇し待機できる、と思うのは
ぜんぶ地上の考えである。酸素が薄いので、常に機種を上に向けて
エンジンを全開にしていなければ高度を保持できない。
水泳で顔を水面から出して、ひたすら沈まないようにバタバタと
もがいている状態に近い。燃料はあっという間に底を尽きる。
B-29に攻撃のチャンスを得るだけでも至難であった。

  

07_2

ゼロ戦のカラーリングについて なぜ緑なのか?
ゼロ戦はなぜ緑色なのだろうか。赤や青じゃダメなのか。
ゼロ戦のカラーリングは上の絵でも描いたが、おおむね
緑色、それも暗緑色である。大戦初期では灰色(もしくは飴色)であった。
空に溶け込むようにと意図されているといった見方が強いが
今となっては彩色配合も謎である。

零戦二一型(ラバウル離陸)

▲南方の陸上基地から発進する零戦二一型。
 
緑色に塗装するようになったのは昭和17~18年くらいからで
型式でいえば、32型で両方の色が見られる。残っていた21型も
多くが緑色に再塗装された。(有名な関大尉の敷島隊は21型である)
これは南方など、ジャングルの多い地域で戦うようになってからで、上空から
見たとき、カモフラージュされるし、基地で木々の間に隠すにも都合がよい。
というのはおおむねの見解のようである。

零戦三二型(ジャングル)

▲ジャングルの中に佇む零戦三二型。
 

日の丸について
ゼロ戦に描かれる日の丸に決まりはあるのだろうか。
あれこれ研究してみたが、遂にこれといった規則性を見つけることは
できなかったが、数で区分すると次のようになる。
 
白フチのありなし、黒いフチ
ゼロ戦は三菱重工が開発、中島飛行機(現在の富士重工)が
ライセンス生産(設計図を相手に送って、これの通り作ればできますよ
という技術を提供すること、現在でも自動車会社がOEM生産と称して行う)
ということで、ふたつの会社で製造を行った。
 
工場出荷状態において三菱製の日の丸はやや白縁が太く
中島は細い。若干の違いなので個体差も大きくわかりにくいが。
さらに、刷毛でフリーハンドでおおまかに描いていたので
新円でなかったり、ムラがあったりする。
 
マリアナやフィリピン、ソロモンなどの機体は最前線の激戦地であるから
目立たないように、この白い縁を黒く塗り潰していたようだ。
工場出荷状態で縁が黒い機体は無い。
 
本土防衛機など、内地の機体は比較的、白フチをそのまま使っていたようだ。
(鹿屋や大村の機体は黒フチに塗り潰されていたが) 
 
最初からフチなし
以上のような理由から、最初からフチを描かず日の丸だけで
出荷されたものが占めるようになった。中島は顕著であったが
三菱製のゼロ戦は縁があるものが多いように見受けられる。
 

零戦の日の丸

▲ラバウル近隣で回収された零戦二二型の外板。だいぶ退色してはいるが
塗装はオリジナルのようだ。日の丸と縁が塗りつぶされた様子がわかる。
2013年、所沢航空発祥記念館にて撮影。
 
関連記事
「桜花の機体には日の丸が描かれなかった」

ゼロ戦のカラーリング表(中島と三菱の違い)

 

機体のカラーリング/三菱系と中島系の違い
これも三菱と中島で違いが分かれる。一見して判別が容易いのは
暗緑色が胴体の斜めに入っているのが
中島で、真っすぐが三菱。
 
塗装の色も、受注元である
海軍さんから
「ちゃんと、この色で作んなさいよ」と指示されていたのだが
三菱と中島でそれぞれ違う塗料を使っていたので、
見た目が異なる。機体は三菱はやや青色が強く濃い。
中島はやや薄く黄色が混じっているような印象。下面は三菱が
ほとんど灰色に対し、中島は少し黄色が強い。コクピットカラーは内装色。
 
強いて言えば、カウリング(エンジン部分)の色も
同じ黒のようで違う。 
翼の一部とプロペラが黄色なのは真正面から見たとき、日の丸が見えないので
識別するため。ゼロ戦だけでなく、これは日本の陸海軍機すべて共通。
 
塗装は、現代でも解明されない点が多く
現存する機体は現代風に塗り直されているのでなおさらである。
 
Mr.カラーと照らし合わせながら、CMYKカラーチャートを作った。
当サイト(篠原)独自の見解であるので、実際に使う際は
微調整などで工夫してほしい。
  
中島飛行機のロゴを復元製作した。無料素材として配布しているので
以下の画像をクリックしてダウンロード可。 
 

中島飛行機ロゴ

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零戦五二型丙種、昭和20年、302空(厚木)にて

▲零戦五二型丙。昭和20年、厚木の第302海軍航空隊所属機。
 
五二型丙を写した中ではもっとも鮮明な写真。両翼の20ミリ機銃に加え、
13.2ミリ機銃(外側)が追加され重武装となったモデル。翼下のレールに
三式弾(ロケット弾)を吊り下げ可能。フラップが出ている様子がわかる。
この機種は主に本土防空戦で敢闘した。
 

カウルフラップ

推力式単排気管

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▲五二型のカウルフラップ「開」状態。五二型の特徴である
推力式単排気管(マフラー)は効率的な排気によって馬力が向上し
最高速度が20km/h程度増大した。
カウルフラップは操縦席にあるハンドルをグルグル回すことによって
開閉する。エンジンが冷えているときは「閉」、高音となったさいは
「開」にしてエンジン温度を調節する。
写真は第261海軍航空隊所属機で、プレーンズオブフェイムが
戦後レストアした機体。2013年、所沢航空発祥記念館にて撮影。
  

栄二一型エンジン(鹿屋の五二型零戦)

▲鹿屋資料館に展示中の零戦五二型と栄二一型エンジン。
2速過給器(スーパーチャージャー)付き離昇出力1,130馬力を発生し
最高速度564km/hをたたき出した。
 

零戦のコクピット内部

永遠のゼロのロケセット

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宇佐平和資料館で展示中の映画『永遠のゼロ』撮影に使われた
コクピットの模型。 実際に座ってコクピットの狭さを体験できる。 

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エース(撃墜王)という概念
日本海軍はエースという概念を設けず、敵を何機やっつけたという

個人成果は記録しなかった。
強いて言うならば、零戦搭乗員全員をエースと呼ぶ。
国の為に戦い、あるいは命を捧げたのだから当然と言えるだろう。
よって、零戦搭乗員の生き残りに「何機落としましたか」と尋ねるのは
失礼にあたるし、最大のタブーとなっている。
戦争で命の駆け引きをしてきたのだから、戦後現代を生きる
我々に決して理解できないことが多くあるに違いない。
 
それでも撃墜数(スコア)に執念を燃やす搭乗員も
存在した。岩本徹三や赤松貞明などである。
殊に赤松中尉は戦後においても自身の記録を世界記録と主張している。
 
零戦搭乗員の原田要氏によると、岩本は自らたくさんの撃墜マークを
機体に描いていて、個人成果主義を否定する周りのパイロットたちは当初、
あまりよく思っていなかったが、 確実に多くの敵を撃ち落とし生還し続けた
ことは間違いないので、次第に認めるように なっていたという。
赤松も同様だった。
 

岩本徹三

赤松貞明中尉

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▲左、岩本徹三中尉/右、赤松貞明中尉
 
関連記事
岩本徹三の戦後
赤松中尉の戦後
 
そして、それぞれの撃墜数をまとめて本にしたものまで出版され
売っている。確実に言えることは岩本徹三や坂井三郎より
凄いパイロットは数多くいただろう。これは間違いない。
けれどもそういったエースは皆、戦死してしまったので、
歴史に名が残らず、語り継がれることもなく消えて行ってしまった。
 
彼らはどんなことを考えていたのか、
最後に、ぜひこの動画と記事もあわせてご覧頂きたい。
 
黎明の蛍(ある特攻隊員と少年の実話)

少尉と隼(ある特攻隊員と少年の実話)
YouTube: 少尉と隼(ある特攻隊員と少年の実話)

Photo_18

作成中

支那戦線から真珠湾、ソロモンの戦い、ミッドウェー海戦、マリアナ沖海戦、
特攻、終戦まで
 

零戦のロケット弾(三号爆弾)

零戦のロケット弾(三号爆弾)

零戦のロケット弾(三号爆弾)

▲B-24爆撃機にロケット弾(三号爆弾)を発射する零戦五二型丙
 
 
富安俊助

富安俊助の突入後

▲エンタープライズ直上より背面飛行でエレベーターに突入する富安機 
 
関連記事
富安俊助中尉とエンタープライズ
 

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航空自衛隊浜松広報館の尾崎伸也大尉機

◆航空自衛隊浜松広報館(静岡県浜松市)
零戦五二型(第三四三海軍航空隊/尾崎伸也大尉機)
 
昭和38年、グアム(大宮島)で発見され
日本へ返還輸送、復元された機体。
海軍第343航空隊(初代,通称隼)の飛行隊長尾崎伸也大尉の搭乗機と
推測される。昭和19年
6月19日、大宮島(グアム島の旧称)上空において
尾崎大尉と他一機が哨戒中、米戦闘機2機と交戦となり1機を撃墜、もう一機に
追尾された尾崎大尉機は
海面直前まで急降下し、敵追撃機を海面に激突させ
たが
自らも被弾し、飛行場に着陸したが、病院に向かう途中に息を引き取った。
 
展示状態
ハンガーの天井に吊って展示されているので
近寄って見ることはできないが、飛行状態で展示されている唯一の
機体という点では最も美しく貴重。
 
浜松広報館レポート
 

零戦と秋水

◆三菱重工名古屋航空宇宙システム製作所史料室
三菱重工名古屋航空宇宙システム製作所史料室は
国内でも数少ない本物のゼロ戦と、世界で唯一の「秋水」を
保存している同史料室は、名古屋空港(小牧空港)、そして
航空自衛隊小牧基地に隣接する、三菱重工業名古屋航空
宇宙システム製作所の敷地内にある。
(現在改装作業に伴い休館中)

 

三菱重工名古屋航空宇宙システム製作所史料室の
見学は無料だが原則、事前の電話予約が必要で、入場も

月曜日と木曜日の9時から15時までと限られている。
(祝日など工場休止日は休みとなる)
 
三菱重工名古屋航空宇宙システム製作所史料室レポート
 

海上自衛隊鹿屋航空基地資料館

◆海上自衛隊鹿屋航空基地資料館(鹿児島県鹿屋市)
零戦五二型

知覧の特攻平和会館は有名だが、鹿屋市には
同様に海軍部隊の特攻隊員の遺書を展示した施設がある。
展示内容はいずれも貴重で決して知覧に引けを取らない。
鹿屋は海軍の特攻基地としてもっとも多くの海軍特攻機が出撃した。
二階フロアには鹿屋から出撃した海軍搭乗員の遺書(案内の人によると
集められる限り全てと言っていた)敷島隊から梓特別攻撃隊、
神雷部隊「桜花」、宇垣中将の特攻まで資料、展示も充実。
世界唯一の二式大艇もここにあり。(屋外)
 
零戦は吹上浜から引き揚げられた機体を復元したもので
数あるゼロ戦の中でもオリジナルに近い。エンジンは近くで
見られるし、コックピットの様子も近くで見ることができる。
ボランティアガイドがラダーや操縦桿を動かして説明してくれる
方向舵や翼が動く様子は零戦や航空機ファン必見。 
 
余談であるがここの食堂で食べられる「鹿屋海軍カレー」は
美味。
 
鹿屋航空基地資料館へ行ってみる

大刀洗平和祈念館の零戦三二型

◆大刀洗平和祈念館(福岡県筑前町)
零戦三二型(第二五二海軍航空隊柳村義種少将機)
 
昭和53年、マーシャル諸島タロア島より帰還した機体で
2013年、第252海軍航空隊の柳村義種少将の機体と判明した。
世界で唯一の三二型(翼が角ばっている)を展示している。
 
ここは震電の展示が充実しているほか
B-29実物大オブジェが天井から吊り下げられている。
 
大刀洗平和祈念館へ行ってみる

大和ミュージアムの零戦六二型

◆大和ミュージアム(広島県呉市)
零戦六二型
 
大和ミュージアムに海軍のシンボルとして展示されている。
大戦末期に製造された重武装の六二型。爆戦ともいう。この機体の 
搭乗員は広島へ原爆が投下された日、琵琶湖上空を飛んでいたと
証言している。
 
大和ミュージアムへ
戦艦大和ドックはいま 歴史の見える丘へ
 

2015082710410000 
河口湖自動車博物館飛行館
国内唯一の零戦21型と一式陸攻を所蔵する。
夏季のみ開館。
 
河口湖自動車博物館飛行館へ

 
パラオの零戦 

◆南方戦跡として残る零戦
(画像:パラオ)
 
当サイトでは南方各地に戦跡として残る零戦を調査し
掲載しています。右の記事一覧からぜひご覧ください。
 
-------------- 
 
靖国神社遊就館(東京)
上野国立科学博物館(東京)
 
作成中。

 
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零戦雷電震電

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烈風(改)戦闘機紫電改

最後までご覧くださりありがとうございました。
当記事はこれから、まだまだ完成度を高めて参ります。
  

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2014年8月10日 (日)

流星(改)艦上攻撃機

流星(改)艦上攻撃機

流星を描きました。
逆ガルの翼が優美な日本海軍最後の攻撃機です。
連合軍では
その名もGrace(グレース)
 
艦上攻撃機「流星」(改)Tシャツアマゾン販売ページ(ネイビー)へ
(ブラック)
(ブルー)
 

流星Tシャツ

流星Tシャツ

流星Tシャツ

 

こちらもよろしくお願いします。
 
伊400と「晴嵐」神龍攻撃隊Tシャツ

 
三式戦闘機「飛燕」Tシャツ
 

局地戦闘機「震電」Tシャツ
 

零式艦上戦闘機五二型Tシャツ
 
「紫電改」第343海軍航空隊Tシャツ

 
飛行機シリーズ、ほかにもリクエストがあれば承ります。
これから、戦車や大和、武蔵の作業に取り掛かります。

零戦雷電震電

Photo_13

烈風(改)戦闘機紫電改

2013年10月 3日 (木)

大村海軍航空隊跡

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大村海軍航空隊の跡地です。

掩体壕が公園の遊具となって残っていました。
ここ大村海軍航空隊は海軍屈指の大航空隊で、空技廠があり
また、松山の第343海軍航空隊(剣)の拠点でもありました。
 

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司令部壕は現在慰霊塔となっています。

 

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沖合に浮かぶ長崎空港です。
海軍大村航空隊の飛行場跡地は現在の海上自衛隊大村航空基地です。
長らく民間と共用でしたが、現在、民間機の滑走路は全て沖合に移転し
民間機独自で運用されています。
 
長崎空港という名称ですが大村市にあります。
長崎県は縦に長い県ですので、地元の人は「大村の空港」とか呼びます。


2013年7月30日 (火)

紫電改と信濃

◆大和の姉妹艦にして
帝国海軍最後の超巨大空母「信濃」

 
先のマリアナ沖海戦で日本の機動部隊は壊滅したと思われたが
帝国海軍は不滅であった。
 
昭和19年11月11日、 東京湾に突然現れた超巨大航空母艦、
その名を「信濃」といった。 戦艦大和、武蔵に続き、三番艦として計画、
起工したはずの信濃は 戦局の変化に伴い、横須賀の海軍工廠で
造船過程の途中 航空母艦へ改造された、当時としては世界最大の
超大型空母である。何せ、土台が「大和」そのものであるから
その巨大さは計り知れない。
 
この頃になると国家総力戦を極め、信濃建造の裏側にも、軍需工場で
信濃の部品製造に働く 「女子挺身隊」と呼ばれた女学生の存在と犠牲が
あったことを忘れてはならない。

信濃に着艦した紫電改

艦上戦闘機「紫電改」
11月11、12日
完成した信濃の公試運転が東京湾で行われた。
その折、信濃の飛行甲板に
着艦したのが
「艦上戦闘機紫電改(試作)」である。 この特別な機体は
紫電三一型(試製紫電改二)と称され、この時、紫電改で信濃に
着艦を行ったテストパイロットは 山本重久少佐(海兵66期)で、のちの航
空自衛隊 ジェット戦闘機パイロットとなる人である。 同期には
南太平洋の韋駄天、重松康弘大尉がいる。
 
紫電改着艦テストの11日には、零戦や天山などの従来機の着艦テストが
終了していた。 元来、航空母艦に搭載する艦上戦闘機としては
ゼロ戦の純後継機である 「烈風」が開発中であり、堀越二郎が寝る間を
惜しんで 完成を目指していたが、とにかく、戦局悪化は甚だしく事態は
急を要する。 そこで、局地戦闘機「紫電改」を急遽、艦上戦闘機に改造する
案件が まとまり、早々に試験機が一機製作された。
 
製作したのは川西航空機株式会社の鳴尾工場で 主な変更点として
着艦フックを取り付けに伴う、附属部品の追加、補強諸々、 さらに着艦時に、
三点引き起こしの安定性を高めるため フラップ角度を増す改造が行われた。
 
紫電改は元来陸上基地で運用される飛行機だから 着陸の速度が速く
航空母艦の甲板ではオーバーランして海に 落ちてしまう。
そこでフラップ角度を増すことにより、低い速度でも 安定を得て、
失速速度の限度に余裕が生じる。 これによって、接地してから静止するまでの
距離は短いものとなり 航空母艦でも運用が可能となる。理屈上である。
 
さて、艦上戦闘機として一新した紫電改は 鳴尾飛行場で一旦、陸上基地で
着陸性能がテストされ その結果は、すこぶる良好であった。
とくに、バルーニク(接地前に尾部が浮いてふわふわする) 性質が無くなった。
紫電改は追浜飛行場へ空輸され 翌日のテストに備えた。
 
試験飛行当日、天気は快晴、
追浜飛行場を離陸した黄色い試作機色の 紫電改は、単機、青い空へ
吸い込まれるように消えて行った。 間も無く、山本の眼下、東京湾を南下する
「信濃」が認められた。 真珠湾攻撃、インド洋では赤城に乗り組み活躍、
後に翔鶴のパイロットとして転戦した経験を持つ山本であったが
信濃の巨大さには驚いたという。※1
 
紫電改、信濃に着艦 「ゼロ戦よりやさしいと思った」
山本の紫電改ははじめにタッチアンドゴー(接艦テスト)を二度行ったのち
いよいよ本番、
低空で誘導コースに入り、着艦フックをおろし 随伴する駆逐艦の上空で
ファイナルターン(第四旋回)をおわり アプローチをして着艦パスに入った。
山本はこのときの印象として
 
「零戦より視界良好で、赤と青の誘導灯も飛行甲板もよく見えた。
パスに乗るのも左右の修正も容易である」
 
「スロットルを絞り、操縦桿を一杯に引くと、スーッと 尾部がさがって
三点の姿勢になり、着艦フックがワイヤーを拘束した」
 
「これなら経験の浅いパイロットでも着艦できるであろう。
零戦よりやさしいと思った」
と記している。※1
 
見事な着艦に、整備兵たちから拍手が沸き起こった。
しかし信濃艦長
阿部大佐だけは心配そうな面持ちで 窓から首を
出して外を仰いでいた。
「B-29、一機、高度ヒトマルマル、(一万)左舷前方上空南に向かう」 との
報告があったからである。 上空のB-29が二筋の飛行機雲を引いている
のが見えた。
 
「畜生、また写真と撮っていやがるな」
傍らの参謀が舌打ちをした。※2
 
山本が機体を降り、艦橋に報告へ済ませ、飛行甲板へ戻ってくると
終始を見守っていた川西航空機の紫電改設計の菊原技師が
やってきて、成功を祝し固い握手が交わされた。
 
◆虎の子「流星」、「彩雲」
信濃には、この紫電改のほか、最新鋭の「流星」、「彩雲」が搭載される予定で
いずれも同日、信濃に着艦テストを完了している。

◆桜花とともに轟沈 
11月28日
信濃の一生はあまりにも短かった。 甲板上に便乗輸送の桜花20機と
震洋数隻を 搭載し、初の外洋航海に出港した信濃は
呉に向かう途中、米潜アーチャーフィッシュの雷撃を受け轟沈。
軍籍わずか17時間で沈んだ幻の航空母艦であった。
戦艦大和の姉妹である信濃が、たった一度の雷撃で いとも簡単に沈んで
しまった原因には諸説あるが 艦内の配線などはむき出しで、
排水区画や防備も途中段階で 艦船として完成とはいえず、
最終艤装のため呉へ回航する途中であった。 最初で最後の艦長となった
安部大佐も「穴だらけの未完成艦では」と、
出港する不安を述べている。※2
 
※1『別冊丸15 終戦への道程本土決戦記』78-79頁
※2『空母信濃の生涯』豊田穣200-202頁

零戦雷電震電

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烈風(改)戦闘機紫電改



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