輪島 由雄(中尉) パイロットデータベース

輪島 由雄(中尉)
操練18期
明治44年北海道生まれ。
 
支那事変勃発後12空に配属され中支戦線に出動。
13年4月、14空へ転属し南支の哨戒、地上協力などに終始。
空戦の機会はなく内地へ戻る。
 
14年4月、霞ヶ浦航空隊(予科練)の教官となり
15年5月、空曹長へ進級。
16年9月、千歳空付。ミッドウェー海戦時には九六艦戦で
内南洋タロア島の防空任務にあたっていた。
 
■30歳の初撃墜~ラバウルへ
17年2月1日、マーシャル群島は米艦載機の奇襲をうける。
輪島飛曹長はこれを邀撃し、3機を撃墜。

30歳にして初撃墜であった。
 
5月、新編成の2空(のち582空)に転属し本土へ帰還したが
8月、ラバウルへ進出
12月、少尉に進級し横須賀航空隊へ帰還するまでの
四か月間、激烈な空戦を生き残り、10機(うち不確実3)を撃墜した。
 
18年10月
第263海軍航空隊※司令、玉井浅一中佐、飛行隊長、重松康弘大尉)
発足とともに、分隊長となる。


■若い部下を率いて戦う
昭和19年に入ると劣性のマリアナ、パラオを転戦。
部下の多くは17歳~18歳で
空戦経験の乏しい(主に甲10期生)
搭乗員を率いて戦うも、そのほとんどを失う。
 
2月23日、米機動部隊の戦爆連合の空襲を受け
これを邀撃。戦死。戦死後大尉に進級。