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2018年1月 2日 (火)

イリサンの戦車特攻 16歳の戦車兵

Naka

 
元戦車第二連隊でイリサンの戦車特攻に参加された
中山誉雄さんにお目にかかりました。
 
中山さんは戦車特攻と数々の玉砕戦に
参加し生還。若獅子語り部の会
『16歳の戦車兵』の御著書で、有名な方です。
 
昭和19年、11月、中山さんは
ヒ81船団所属の揚陸艦「神州丸」に乗船し、フィリピンへ向かいます。
 
ヒ81船団は陸軍空母「あきつ丸」海軍空母「神鷹」、高速タンカーと
揚陸艦等で編成されておりました。
 
途中、船団は米潜水艦スペードフィッシュの雷撃を受け、
隣を航行していた空母「神鷹」が被雷沈没。
神鷹が犠牲になったので、神州丸は助かったと、中山さんは
殊、回想されておりました。
 
その後、大東亜戦争では陸軍初の作戦となる戦車特攻に志願。
これが陸軍の戦車史に残る『イリサンの戦車特攻』です。
「特攻作戦であることは知らされておらず、察するとどまった。
当時、16歳の戦車兵、お国の為という考えも特に浮かばない。
いかにして少ない戦力で敵に大きな打撃を与えるか
戦術的なことをだけを考えていた」との由。
以下は概略であります。
 
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戦車特攻を目前に控え、山下奉文大将より直々に杯を受ける。

ダイナマイトの箱を車体にくくりつけた
九五式軽戦車は、イリサンの狭い山道を前進。
このとき中山氏は砲塔の後ろに乗っていた。 
 
特に申し合わせは無かったが、我々の戦車が橋を通過すると、
工兵隊が橋を爆破した。
 
「たいしたものだ!」と思った。
 
これで敵の進軍は阻止された上に
我々は後戻りはできず、突っ込むのみである。
 
我が戦車隊は敵の死角となるカーブの藪に隠れて、待ち伏せする。
連合軍も同様に、車両一台がようやく通れる
狭い山道を、M4戦車を先頭に一列縦隊で進攻。
先頭は戦車隊、後方から歩兵と兵站が続く。 
 
機会を伺っていた、我が戦車隊は死角から奇襲突撃。
敵M4戦車に体当たりし自爆した。
戦友は全員戦死。中山氏は天蓋が吹き飛ばされた際に
振り落とされ、奇跡的に無傷。
 
作戦は成功した。この突撃でM4戦車を二両を崖下に突き落とし、擱座させる。
戦車二両といえども、狭い山道で奇襲を受けた連合軍の大部隊は
進軍を停止。車両の撤去に一週間を要した。
この間、多くの日本陸軍将兵の転進を後押しする結果となった。
 
かくして成功したイリサンの戦車特攻は
散華した11名勇士の功により
多くの陸軍将兵の命を救った。

コメント

新年明けましておめでとうございます。
フィリピンの戦車特攻に参加された方がまだご健在だったのですね。

金澤さん
あけましておめでとうございます。
細かな戦術や戦場の描写など
実際にお話を聞くことができました。

中山さんは講演会などで若い世代に
よくお話しをされております。
これからもお元気でお過ごし頂きたいです。

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