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2017年6月22日 (木)

新幹線運休の報道

昨夜の大雨の影響で新幹線が運休または大幅な
遅延が出てニュースとなっている。
原因は架線の不具合による停電だったが
どこのニュースでも足止めを余儀なくされた乗客を捕まえて
  
「困った」「うんざりした」「ひどく疲れた」
「迷惑だった」「徹夜で仕事に向かわねばならない」
 
などとコメントを報じている。  
 
極めつけは朝日新聞の報じた
 
「もう新幹線を嫌いになった」
 
との乗客のコメントである。
 
遅延した最後の列車が博多駅に到着したのは午前4時半だった。
しかし、新幹線は全線で6時の始発から平常運転を再開した。
これは神業と言っても言い過ぎではない。
 
ニュースが伝えるのは、乗客が迷惑した事のみで
同様に徹夜の作業となった、保線に従事する作業員や
駅員の苦労は一切、報じない。
日本の鉄道は世界一正確で安全だが
何事もなく動いているときは、その有難味は感じないのだろう。 
 
豊かになった我が国の根本的な欠陥はここにあるのだろう
と普段から感じている。
 
新幹線で窓際に座って飲むコーヒーは何にも代えがたい
格別なものだ。富士山を眺めながら時速200キロで景色は流れて行く。
あのコーヒーは一杯1万円とったっていいと私は思う。
 
どれだけの乗客が、コーヒーがこぼれない理由を
考えたことがあるだろうか、その技術を根底から支える
日本の技術屋、職人の魂がそこには目に見えない形で
確かに存在する。
 
こうした技術屋や作業員、駅員の方々に
感謝の心を持ち、敬意を払うことを
我々日本人はすっかり忘れてしまった。
新幹線が定刻通り走るのは当たり前じゃない。
 
私は以前、電気工事の仕事をしていた。
電気工事といっても多様だが、私はシーケンス屋だった。
日産自動車の大工場で、ベルトコンベアーやロボットを
動かすための電線を引いたり、それを動かすラダー図を
コンピューターで作製していた。ソフトからハードまで全部やった。
鋳造工場では、グラグラとマグマのように溶けた真っ赤な鉄を
入れた鍋がすぐ近くを通過して地獄のような暑さだった。
 
ここで働いていた時、
社長からポツリと言われたもっとも印象的な一言がある。
  
「いつか飛行機の落ちる時代が来る」
 
理由は簡単で少子高齢化で優秀な技術者が減ってしまう。
伝承者も少ないという危惧からである。これは現場で痛烈に感じた。
 
社長のパソコンの待ち受け画面はマチュピチュの遺跡で
「いつか引退したら妻や家族を連れて行きたい」
とニコニコしながら常々言っていた。
でも、社長が引退できる日は現実的に考えられなかった。
人員不足でほとんど休みはなかった。
  
私はリニア中央新幹線なんて大反対である。
造るまでは良いだろう。だけれども維持管理はどうする。
アルプスを貫く長大なトンネルを、一体誰が面倒を見るのか。
 
トンネル外壁の一部が剥がれおちただけで、
責任がなんたらと、報道が騒ぐだけ、それは目に見えている。
もう明らかな人手不足としか言えない。
 
今後、50年60年先の見通しがあるのか。
 
話を少し戻して、私は日産の工場で
日産のフラッグシップである、フェアレディZを
製造するロボットのメンテナンスを行っていた。
 
だから、街を走るフェアレディZを見かけると
自分が関わったことだから、少し嬉しかったし誇りに感じた。
仕事のやりがいとはこのようなものかと思った。
 
就職難と言われて久しいが、実のところ求人率は
バブル期に次いで二番目で
仕事は選ばなければたくさんある。
 
終戦の焼け野原から、復興を遂げて世界第二位の経済大国に
成長している過程で
重厚長大(じゅうこうちょうだい)というものに
若者は憧れを持っていた。重厚長大とは
重く・厚く・長く・大きな製品を扱うことである。
こういった仕事がかっこよかったのだ。 
 
昨今はスマートで薄く、小型シンプルなものが
何でもかっこいいとされる。
お洒落なシアトル系カフェで、コーヒー片手に
タブレット端末を片手で操作するのがステイタスなのだ。
だけどそれを支えているのは誰なのか。
 
天才物理学者のアインシュタインは優れた哲学家でもあった。
アインシュタインは
「私は生まれ変わったら配管工になりたい」
そう言った。
 
日本の若い人たちは
こうした下支えをする技術職をやりたいと思わないのか。
誇りを感じないのか。
 
大自然相手に新幹線が運休しただけであまりに酷い報道。
そうした気持ちを助長させている気持がしてならない。
だから思うまま書いた。
 
どうか、新幹線を嫌いにならないで欲しい。

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