« 天狗鼻望楼台「バルチック艦隊見ユ!」 | メイン | 坊津の美しい海と悲しい歴史 »

2014年8月 8日 (金)

林喜重大尉の紫電改~折口を守った神様

Imgp4833

 
折口の浜に眠る林喜重大尉の紫電改
鹿児島県阿久根市折口浜の浅瀬に一機の紫電改が眠っています。
第343海軍航空隊、林喜重大尉の機体です 。
 
林大尉最後の戦い~B-29へ捨て身の攻撃
昭和20年、4月24日、B29の編隊が阿久根を空襲。
余勢をかって、ここ折口まで 爆弾を投下しました。
現在、折口駅がありますが ちょうど線路を挟んで南にあたる
阿久根側は焼けたのですが 折口側は無事だったのです。
 
折口だけが焼けなかった理由
B-29が折口の爆撃進路に入ったとき
一機の紫電改が突っ込んできました。343空、林大尉の機体でした。
林大尉はB-29直上より、一撃攻撃を加えると、さらに反復して執拗に
食いつきました。 これにひるんだB-29は爆弾を全て捨てると、
遁走にかかりました。
 
林大尉の紫電改も被弾し、満身創痍でしたが
B-29に最後の一撃を加えると、ついにB-29は煙を吐きました。
おかげで折口の町はは焼けなかった。
 
「だから、わしらは林大尉は神様だと思っている」
住民はそう語り、そのとき林大尉が放った薬莢を
大切に持っていました。
 
増槽タンクが落ちなかった
林機は増槽タンクが故障により切り離せず、つけたまま戦ったそうです。
空戦後、大尉は沖へ不時着を試みましたが増槽タンクが抵抗となり
着水と同時に おおきく前のめりに突っ込み、頭がい骨骨折により
戦死しました。 この慰霊碑は林大尉を荼毘に付した場所に建てられています。
 
この話は鹿児島在住の私の友人が折口で取材して まとめた話です。
ある日、戦史研究者がやってきて、この話をしたそうです。
そして、特に許可した覚えはありませんが、この話ほぼそのままの形で
雑誌「丸」に掲載されました。 器の大きい友人は「まあ、よか」ということに
して、特に何も言いませんでした。
 

Imgp4829 

林大尉の慰霊碑へ
野球場のフェンス奥へ入っていきます。
 

Imgp4825

見えてきました、地元の有志が清掃してくれていて
綺麗です。
 

Imgp4823

D

Imgp4817

Imgp4822

 
林喜重大尉(戦死後少佐)碑文
 

松の梢よ 磯吹く風よ
お前は覚えているか
あの雲の彼方に
散っていった戦友のことを
心あるなら伝えておくれ
私の故郷鎌倉の海のような
美しいこの折口の浜で
心ゆくまで語ろうではないか
 
▼再現作画(推測)

Photo

Photo_2




コメント

阿久根の折口にこのような慰霊碑があるとは知りませんでした。時間を見つけて訪れて見たいと思います。

桑原様

野球場の裏側にひっそりと残る慰霊碑です。
このバックネット近くの白い案内板もごく
最近設置されたそうで
それまでは、ほとんど知られていなかったようです。

小林大尉の機体が沈んでいるのも、ちょうど
この慰霊碑の沖、一直線上だそうです。

小林大尉ではありません。林少佐に修正してください。

コメントを投稿