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2014年6月20日 (金)

アサンビーチ(グアム島)

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上陸戦が展開されたアサンビーチを訪れた。 

  
1944年(昭和19年) 7月21日
激しい艦砲射撃と空爆ののち、いよいよ米国海兵隊はアサン海岸へ
上陸を開始する。日本軍守備隊は水際でこれを阻止せんと 猛然と応戦した。
海兵隊にも死傷者が続出し橋頭堡(きょうとうほ)を確保するため丸一日を要した。
この上陸戦から数えておよそ三週間にわたりグアムでの戦いが続くのであった。
 

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アメリカは奪還の大義のもと、
日本にとっては大宮島(おおみやじま・当時グアム島の日本名)
の落日がまさに迫りつつあった。
 

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ここアサンの歴史をスペイン時代から見てみよう。
 
1892年
スペイン時代、ハンセン病患者の隔離病棟が建設されたが1900年の
台風で倒壊。
 
1901年-1903年
フィリピン米総督府はフィリピン人政治犯をグアムに追放し
ここアサン岬の刑務所に収容。
 
1917年
第一次大戦勃発とともにグアムに居たドイツ巡洋艦水兵は
捕虜となり、ここアサンに収容された。
 
1944年-1945年
そして、先の大戦で 日米両軍の熾烈な戦いの末、 グアム島の奪還を
果たした米軍は キャンプ・アサンを建設する。これは米国軍属の宿舎であった。
以降、1967年まで使用されるがその後は放置される。
 
1975年
ふたたびここアサンが使われたのがベトナム戦争時で何千人もの
ベトナム難民受け入れの 施設となった。
 
1976年
大型台風パメラによって グアム島全域の建物が倒壊した際
アサンは瓦礫の集積場となった。
 
以上のように この開けた海岸は先の大戦のみならず
常に数多の悲劇とともにあった。 現在は海浜公園として美しく
整備され バーベキューをしたりローカル憩いの場となっている。
 
この平和が末永く続くことを切に願う。
 

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